この本は、維新三傑の一人、木戸孝允(桂小五郎)を主人公にした時代小説です。
この上巻では、ペリー来航の少し前から、薩長連合の前までを描いています。
とにかく、長い
上巻だけで700ページもあった。
私にとっては非常に文章が読みにくい
しかも、私はどちらかと言うと薩長連合の後、特に維新の後の木戸孝允の業績を知りたいので、上巻の内容はあまり興味が無いのもあります。
水戸藩の徳川斉昭はこの本によれば、相当の好色のようだ。
十人の妻妾がいて、37人の子女がいたようです。
このため、大奥の斉昭公への評判は非常に悪かったようです。
最後の徳川将軍、慶喜の父親が徳川斉昭で、
慶喜が将軍になるのを恐れていたのは、一つには慶喜にくっついて父親が江戸城中に来るのではないか、と恐れられていた、とこの本では書かれている。
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竹島(現在の鬱陵島)には、当時人が住んでいない。
この島は倭寇や蒙古の根拠地に使われ、さらに一時は税金逃れのために流民がここに住み着いたりした。
李朝朝鮮は政府の支配力が及ばないことを恐れて、15世紀のはじめ以来空島政策を取ってきたのである。
幕藩体制の始めの頃には米子の商人が幕府の許可を得て鬱陵島から木材や鮑を採取していたが、
元禄9年に幕府はここが朝鮮料であることを認め、邦人の渡航を禁じた。
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幾松(木戸孝允の妻で、京都で有名な芸姑)にはなしをもどすと、
小五郎は彼女を落籍させるつもりでいた。
ところが幾松にやはり目をつけていた山科の素封家がいて、吉田屋では小五郎の申し出になかなか首を縦に振らない。
彼女は踊の名手で妹分の玉松とともに看板藝妓だったから、店としてはよほどの金を積まれないかぎり手放したくなかったのである。
そこで伊藤俊輔(博文)が、交渉に乗り込んだ。
とうとう武力で取り上げた
という児玉愛ニ郎の談話が残っている。
ーー中略ーー
幾松は吉田屋の幼女として店を支え、一方では実家の生咲の一家を養わねばならない。
そのために座敷づとめは当分やめないという条件付きで、彼女は小五郎に一身を委ねた。
ーー中略ーー
彼女が藝妓をやめなかったことは、小五郎には結果としては好都合だった。
幾松を通じて色街で行われる各種の会合の情報を集められるだけではなく、
吉田屋の養女の旦那として店を自宅同様に使用できる。
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醒めた炎 上巻 村松剛
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