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ローマ人の物語 勝者の混迷 6+7 塩野七生

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前作のつづき

前作はポンペイのハンニバルを倒し、帝国を安定させたローマ
今作では、失業、国民の不平不満にどう対応するのか、をテーマにし、
ユリウス・カエサルが登場する前までを描いている。
前作のハンニバルあたりからとてもおもしろい。
このまま読み進めていきたい。

スパルタクスが実在の人物とは知らなかった。
てっきり神話などの伝説の人物だと思っていた。

紀元前一世紀に、シーザーの前の偉大な指導者だったポンペイウスこそが、
イスラエルのエルサレムに侵攻し、以後半属州に変わっったのだそうです。


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人間とは、食べていけなくなるや必ず、食べていけそうに思える地に移動するものである。
これは、古今東西変わらない現象である。
この種の民族移動を、古代では蛮族の侵入と呼び、現代ならば難民の発生という。
古代ローマも、この種の民族移動を、ローマが存続しているかぎり忘れることは許されなかった。

食べていけなくなった人々の移動が、平和的になされるか暴力的になされるかは、たいしたちがいではない。
いかに平和的に移って来られても、既成の社会を揺るがさないではおかないがゆえに、
民族の移動とは、多少なりとも暴力的にならざるをえないのである。

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イエス・キリストは、人間は「神」の前に平等であるといったが、彼とは「神」を共有しない人間でも平等であるとは言ってくれていない。
それゆえ、従来の歴史観では、古代よりは進歩しているはずの中世から始まるキリスト教文明も、奴隷制度の全廃はしていない。
キリスト教を信ずる者の奴隷化を、禁止したに過ぎない。
だから、ユダヤ教信者を強制収容所に閉じ込めるのは、人道的には非でも、
キリスト教的には、完全に非である、とは言い切ることは出来ない。
アウシュヴィッツの門の上に掲げられてあったように、キリスト教を信じないために自由でない精神を、労働で鍛えることで自由にするという理屈も成り立たないではないからである。

キリスト教を信じようが信じまいが、人間には「人権」というものがあるとしたのは、
18世紀の啓蒙思想からである。
ゆえに、奴隷制度の廃止を謳った法律は、1772年のイギリスから始まって1888年のブラジルに至る、一世紀間に集中している。
とはいえ、法律はできても人間の心のなかから、他者の隷属化に無神経な精神までが、完全に取り除かれたわけではないのである。

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ヤーコプ・ブルクハルトの「世界史的諸考察」より

歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はその後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。
これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。
彼等は、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。








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