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Channel: 読書は心の栄養
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デモ活動に思うこと

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デモに限らないのだが、企業に対してでなく、もっと漠然と社会に対して、あるいは国に対して訴えかける系の活動というのがある。

最近、法治国家ということを考えるとああいう活動がどうもしっくりこない。

これは左系のことだけではなく、いわゆる右系であっても同じ

米軍基地反対、**政権反対(今なら安倍政権、かつては菅政権とか)などの活動がある。

活動するのは勝手なのだが、
日本は法治国家であって、他の国と比べてもきちんと法に則って行動をしていることが多い。
もちろん、法を逸脱した行為について糾弾するのは勝手だが、
まがりなりにも「法に従って正式な手続きによって決断がなされたもの」に対して、
デモ活動などで直接的にその決断を覆そう、というのはどうなのだろうか、と思う。

改めていうが、それが右であれ、左であれ同じです。

文句があるのであれば、
・法の改正を促す
・執行者たる国会議員を変えていく
という手続きを踏む以外に、法治国家+民主国家たる日本で自分が願う方向へ持っていく方向はないだろう。
(もちろん、自ら出馬して、政治の世界に飛び込み、変える、というのはある)

仮にそのデモなどの行動によって「政治家の法律の手続きを経た」決断を変えてしまったら、
それは過激派と言ってもいいと思う。
そこまでいくと、右や左では済まず、極右・極左と言ってしまっていいだろうか

あくまでこの日本国憲法下における民主主義のプロセスに則った活動を起こすべきだし、
それを逸脱した行為というのは、日本国外でいう過激派、国内で言えば極右・極左に該当するだろう。

もちろん、デモ活動を行うこと自体にも一定程度のメリットは存在する。
特にメディアなどに取り上げられれば、「こういう考えがある」ということを周知させる「広告効果」が見込まれるからです。
しかし、認められるのはそこまでで、実際に政府の出した決断を変えるまでというのは期待するべきでもないだろう。

民主主義社会であれば、通常は数年に一回の選挙を通じて、
そうでなければ署名や政府などへの意見投稿などを通じて国民の意見を愚直に伝えることが必要です。


デモ活動を行うにせよ、無理やり社会を変える、などの発想で行うのはやめてほしい。

もちろん、これは私個人の私的な意見です。


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