この本の副題は「ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている」
一見すると、超能力系のオカルトかな?という本ですが
実際はむしろ逆で、
たとえば自殺した部屋に人が住みたがらないのはなぜか?
殺人者の着ていた服を着たがらないのはなぜか?
といったことをむしろ科学的に考える本
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事象を紡ぎ合わせる人間の心は常に
”post hoc, ergo proper hoc(前後即因果の誤謬)"の過ちを犯す危険と隣り合わせだ。
ここまで
これは、最初の事象が二番目の事象の原因になったと考える事が多いが、
実際には無関係な事象を関連付けてしまう事を言う。
たとえば、ゲン担ぎが典型で、
・たまたま朝カレーを食った
・その日、たまたま試験で良い結果が出た
から、試験の日には常にカレーを朝食に食べる
というものなどが該当するのではないでしょうか。
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ニュージーランドのマオリ族は相手との霊的な息(ハー)を交換するために
鼻をすり合わせる(ホンギ)が、これにかぎらず、触れ合う動作はすべて、
相手との本質の好感を感じ取れる度合いに応じて解釈することができる。
たとえば、人はアイドルを目の前にすると、奇妙な行動を取る。
ファンたちがスポーツ界のヒーローやロック・スターに必死で触ろうとするのがそれだ。
ーー中略ーー
他人にどうしても触りたいというのは、人間の強烈な本能的衝動なのだ。
殺人鬼のカーディガンに触れて精神的に汚染されることに強い嫌悪感を抱くのと同じように、
私達は親密な身体的接触につながる行為をせずにはいられない。
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子供たちは、太陽はどこへ行くにも自分の後ろをついてくるし、
考えることもできると思っていたのだ。
子供たちが描く太陽がにこにこ顔をしているのはそのせいである。
ーー中略ーー
要するに、無生物界は生きていると考えていたわけだ。
これがピアジェの言う”アニミズム”である。
アニミズムは、実在するものには魂が有るとする考え方で、
多くの宗教や非宗教的超自然現象信奉にも見られる。
子供たちはどこからこんな考え方を仕入れてくるのだろう?
誰が教えた考え方でもない。
子供たちはこうした世界を理解しているにすぎないのである。
子供たちがこの類の過ちを犯す理由の一つは、すべてを自分の視点から理解していることにある。
ピアジェは幼児が自分の世界観にどっぷり浸かっていて、
世界のあらゆるものを自分と関連付けて解釈していることに気付き、
自分のことを考えるだけで精一杯のこうしたものの見方を”自己中心性”と呼んだ。
ーー中略ーー
子供たちは世界のあらゆるものに目的が有るとも考えている。
物は理由があって作られたとみなしているからだ。
太陽は僕のために造られたんだ。
ーー中略ーー
幼い子供たちは、目的があって造られたものと、
たまたまある目的に適っていたものとをなかなか区別できない。
たとえば、棒きれを使ってつつくことができると、棒きれはつつくのが目的と思いたくなる。
言い換えれば、棒きれは自分が使うために存在しているのである。
こうした考え方が子供を”見境のない目的論”と呼ばれるものへといざないう。
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こうした化学伝達物質のひとつにオキシトシンがある。
出産が近づくと母親の脳内で大量に産出されて、子宮の収縮を起こさせるホルモンだ。
授乳時にもこれが作用する。
母性関連以外では、性交時の身体的接触が刺激となって、オキシトシンが分泌される。
ならば、オキシトシンが社会的な絆の形成に関わっていると研究で明らかになったのも、
不思議ではない。
このオキシトシンの働きがわかったのは、ハタネズミの亜種二種類のおかげである。
平原ハタネズミは24時間、渾身の求愛行動に励んだ後、つがいになると一生相手と添い遂げる。
一方、ほぼおなじ遺伝子を持つ山岳ハタネズミは雑婚種で、行きずりの関係を好む。
障害の一雌一雄関係は築かない。
その理由の一つは、平原ハタネズミの脳にある報酬中枢がオキシトシンに敏感であるのに対し、
山岳ハタネズミのそれは反応を示さないことにある。
平原ハタネズミの場合は、交尾をするとオキシトシンによって
報酬中枢が十分満足させられるために愛情が生まれるのだが、
山岳ハタネズミにはそうしたプロセスが起こらない。
ーー中略ーー
二人の相性は抜群という時、そこには本当の魔力が働いている。
性的魅力を感じて恋に落ちるというのは、情動によって強化される体験なのだが、
この情動を自動的に誘発するのが、次々と連鎖反応式に分泌されるホルモンのカスケードである。
これらのホルモンは、赤ちゃんと母親との間に初めて
社会的公刊が交わされる時に分泌されるものだが、
その後も生涯を通じて、社会的親密さを維持しようとする情熱に油を注ぎ続ける。
このホルモンのカスケードが発生すると、私達は魔法にかかったように魅せられ、
心を奪われてうっとりし、殆どの場合、コントロールが利かなくなったように感じる。
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私達が嫌悪を感じるものすべてを説明しようとしたら、生物学的な解釈だけでは限界がある。
むしろ答えは、他の目的のために嫌悪反応を利用する別のメカニズムにあるに違いない。
一つの可能性として、嫌悪が社会的結束のメカニズムとして作用していることが考えられる。
結束した集団を形成するには、集団の範囲を限定する一連のルール、信念及び慣習
が必要で、しかも、集団の構成員全員がそれを順守することに合意しなければならない。
こうして、ひとつの集団は別の集団との差別化を図る。
このルールが、世界のあらゆる文化にそれぞれ存在している道徳的行動規範である。
これに違反することはタブーを犯したことになるので、
集団内に負の情動反応を引き起こすに違いない。
違反者は罪悪感を覚えてしかるべきだし、残りの者は違反者を罰しなければならない。
かくして正義が機能する。
最終的に得られる効果は、集団の結束の強化である。
文化によって定められているタブーは社会の結束を揺るがす恐れがあるが、
そのタブーによって集団は限定づけられてもいる。
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第二次世界大戦中、ドイツがユーゴスラヴィアに侵攻、
ユーゴスラヴィアの王族はイギリスに亡命してロンドンに落ち着いた。
ユーゴスラヴィア最後の国王ペーテル二世は1944年にギリシャの王女アレクサンドラと結婚、
翌年には第一子の誕生を控えていた。
祖国を誕生の地とできない長子の王位継承権を案じたペーテル二世は、
時のイギリス首相、サー・ウィンストン・チャーチルに特別な要望を出した。
それに応えたチャーチルは、1945年夏のある一日に限って、
ロンドンのブルック・ストリートにあるクラリッジ・ホテルの212号室を
ユーゴスラヴィアの領土とした。
アレクサンドル王太子がユーゴスラヴィアの領土内で誕生できるようにとの計らいだった。
王太子のベッドの下には、政治的な判断に本質的な要素を加味するため、
壺に一杯のセルビアの土が置かれた。
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こうした市場主導型の意思決定方法で問題なのは、神聖な価値を共有することによって
結びついている集団の結束力が低下することである。
何でも、誰でも、金で買えると思ってしまったら、
神聖なものが金に替えられない価値を失うため、この結束が微塵に崩れてしまう。
だから、合理的な分析では測れない神聖な価値が存在していなければならない。
社会には例外なく、タブーとなっていて、取引や比較の対象としてはならないものが必要だ。
誰も、このルールにしたがうとはっきり表明しているわけではないのだが、
社会集団の一員として、集団の全員が認める神聖な価値を
自分も認めるよう期待されていることを承知しているのである。
ここに、パズルの最後の一片がある。
ものはいかにして神聖な価値を持つに至るのか?
これこそ、スーパーセンスの本領発揮のしどころだ。
何が神聖であるかを教えるのは社会だが、
何かが神聖と実感されるためには、超自然的なものになる必要がある。
ありふれたものでは用をなさない。
かけがえのない唯一無二の属性を備えていなければならない。
そうした属性を見定めるには、隠された属性を感知できるように設計された心が必要だ。
コピーや複製、買収、クローニング、偽造、交換、置換ができるものは、
それだけで神聖さを失う。
この信念を抱くに至るには、自分の神聖な世界には隠れた超自然的な側面
があると推測しなければならない。
そして、その考え方には、つながり感とより深遠な意味という、
あらゆる超自然的な属性が関わっている。
自分が何かをその客観的価値以上に評価するのはなぜかを理解するには、
超自然的な属性が欠かせない。
皮肉なことに、私達が自分の抱いている神聖という価値観を正当化できるのは、
スーパーセンスがあるからなのだ。
不合理性が信念を合理化する。
社会が共通して抱いている信念だからである。
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スーパーセンス ブルース・M・フード
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