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共産党についての九つの論評 大紀元社説シリーズ

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共産党についての九つの論評―中国共産党の正体を暴く/博大
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大紀元はアメリカにある在外シナ人向けの新聞社論調は、
中国へ批判的です。

<スパイ>

スパイ工作の“前三傑”と呼ばれた者たちがいた。
彼らは銭壮飛(せんそうひ)、李克農(りこくのう)、胡北風(こほくふう)である。
銭壮飛は国民党中央調査科主任・徐恩曾(じょおんそ)の腹心で機密管理秘書であったが、
実は銭壮飛が所属していたのは
中国共産党中央特務二課の課長・陳Gen(ちんくん)の下であった。
中華民国政府軍が中共に行った第一次と第二次の包囲殲滅作戦の情報は、
この銭壮飛が国民党中央組織部の郵便物を使い、李克農によって周恩来の手元に送られた。
その働きによって、共産党は生き延びたのである。
一九三〇年四月、東北(満州)で国民党中央調査科の証書と資金を用いて、
表では国民党、裏では共産党に属するという二重のスパイ組織を作った。
李克農も中華民国陸海空軍総司令部に紛れ込んで暗号解読員になり、
中国共産党機密管理局責任者顧順章(こじゅんしょう)が捕まえられ、
その後の変節した情報も彼が解読し、銭壮飛が周恩来に届け、
それによって中国共産党は一網打尽にされる危機を避けられたのである。

<西安事変>
多くの資料が明らかにされると、西安事変の直前、
張学良と楊虎城の身辺にはすでに多くの共産党のスパイたちが集っていたことがわかった。
共産党員の劉鼎(りゅうてい)が宋慶齢(そうけいれい)の紹介で張学良の側に来た。
西安事変発生後、毛沢東は「西安事変は劉鼎の功績が大きい」と言った。
楊虎城の身辺で夫人の謝葆真(しゃほしん)は共産党員で、楊の軍政治部に勤めていたが、
1928年1月中共党組織の同意の下、楊虎城と結婚した。
後に外交副部長(外務副大臣)にまで成った王炳南(おうへんなん)は、楊家の上客であった。
楊と張の周辺は多くの共産党スパイが潜入して、この軍事クーデターを起したのである。

当初、共産党は内戦時の恨みを晴らすため、蒋介石を殺害しようとした。
当時中共の北部は弱小であり、ひとたび戦えば壊滅する状態であったが、
中共は欺瞞で張と楊を操り軍事クーデターを成功させた。
スターリンが日本の力を分散させてソ連に対する攻撃を回避するため、
自ら中共中央部に手紙を書き、蒋介石を殺さぬよう、第二次国共合作を求めた。
毛沢東と周恩来も当時の中共の力で国民党を消滅する事は不可能であり、
蒋介石を殺しても共産党は国民党の報復により滅ぼされる可能性があると分かっていた。
そこで、中共は、やり方を変え、連合抗日を称して、
蒋介石に第2次国共合作を受け入れさせたのである。

先に共産党は軍事クーデターを画策して、蒋介石に銃身を向けていたのに、
それとは打って変わって京劇の英雄のように振る舞い、
蒋介石に再度共産党と組むことを迫ったのである。
中共は災厄を逃れただけでなく国民政府に再度取り付き、
紅軍は八路軍に改名され、再び勢力を盛り返した。

この巧妙な欺き方は天下一品である。

<張志新>
文化大革命を経験した人は張志新さんのことを忘れることはないであろう。
彼女は刑務所に入れられ、そこの警官により何度も野獣のごとく服を剥ぎ取られ、
後ろ手に手錠をかけられたまま、男性囚人の牢獄に放り込まれたのである。
その結果、彼女はほしいままにレイプを受け、ついには気が狂ってしまった。
このような状態になったにもかかわらず、処刑されるに当たり、
彼女が何かを叫ぶのではないかと恐れた刑務所側は、
彼女の頭をレンガに押し付け、麻酔を打たずにナイフで彼女の喉笛を切ったのである。 
近年の法輪功に対する弾圧に関しても、中共は、恨みを造り出し、
暴力を扇動するといった従来の手段を利用した。



<江沢民の出生>

江沢民は1926年に生まれた。
中国共産党が常に人民に、その血なまぐさい権力闘争の歴史を覆い隠してきたように、
江沢民も常に中国共産党及び人民に、その売国奴としての歴史を覆い隠してきた。

江沢民が17歳の時、世界ではファシズムに反対する勢いが、非常に激しくなっていた。
愛国青年たちは、次々に前線へと馳せ参じ、抗日救亡運動に参加していた。
一方、江沢民は、汪精衛の傀儡政府が、1942年に南京で創設した中央大学で、
高等教育を受けることを選択した。
様々な調査によれば、その理由は、江沢民の父である江士駿は、
日本が江蘇を占領している間、関東軍の反華宣伝機構の高官に任命されていた
ためである。
正に正真正銘の売国奴である。

江沢民は、国を売る売国奴としての一面においても、まるで一つの轍から出たように、
中国共産党と同様に、中国人民に対する感情が欠落し、
思うままに中国人民を虐殺することができた。

中国共産党が、内戦において勝利を得た後、江沢民は中国共産党に紛れ込み、
富貴を求めるために、自分は早年に中国共産党に加入し、
後に賊に撃たれて死亡した叔父の江上青の養子となったと偽証し、
この関係を利用して、数年間で初級幹部から電子工業部の副部長へと昇進した。
江沢民の昇進は、その本領によるものではなく、
人間関係において上手く立ち回ったためであることは、明らかである。
江沢民は上海市委書記在任中、毎年上海で春節を過ごす
李先念氏、陳雲氏などの党内の元老に対して、媚びへつらうことを極めた。
かつて、李先念氏に誕生日祝いのケーキを送るため、
上海市委書記たる者が、大雪の積もる中、数時間も恭しく待っていたのである。

<中国共産党の宗教的特徴>

共産党の宗教的特徴

宗教の基本形式中共の形式
教会堂、講壇各級の党委員会。党の会議から完全に党の管轄下に置かれているマスコミまで中共の講壇となっている。
教義マルクスレーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、江沢民の「三つの代表」、党の綱領
入信の儀式共産党に対し、永遠の忠誠を誓う
専一信仰共産党しか信じていない
神職者・聖職者党委員会の書記など各級の党幹部
神への崇拝全ての神を貶してから、神と称さない神を立てる
「天に昇る、地獄に落ちる」ことは死ぬことを指す「マルクスに会いにいく」とは、死ぬことを指す
経書・聖典領袖らの理論と著書
伝道様々な会議を開き、指導者たちが発言する
10経書を念じる政治学習、党員の勉強会
11聖歌党を讃える歌
12布施党費を徴収し、無理やり予算を組む(国民が働いて稼いだお金)
13懲罰党紀。「決まった時間と場所で調査する」、「党から追い出す」、ひいては死まで追いやる。連座制など

共産党の本質は実はほかでもなく、人類に危害を与える邪教なのである。

共産党は自身が宗教であると自称していないが、宗教的色合いを濃く持っている(表参照)。
立党当初、共産党はマルクス主義をこの世の絶対的な真理とした。
マルクスを精神上の神様として崇め、共産主義という「この世の天国」をもって党員を惑わし、
生涯共産主義のために身を投じるよう仕向けたのである。

共産党は正教とはっきりした違いがある。
正統な宗教は皆神を信じ、善に向かい、人々の道徳を育成し、
その魂を救うことを目的としている。
これに対し、共産党は神を信じておらず、しかも古来の道徳に反対している。

共産党の行いは、それが邪教であることを証明している。
階級闘争、暴力革命と無産階級専制を共産党の教義とし、
残酷な暴力と虐殺によって成り立つ、いわゆる共産革命を引き起こした。
共産党政権の赤色テロは一世紀ほど続き、世界半数の国家に影響を及ぼし、
数千万人ないし一億人にも及ぶ人々の命を奪った。
このような人間地獄を作り上げた共産党こそ、この世の最大の邪教である。

<中国のGDP>
中共は絶えず自国の経済発展を誇っているが、
実は、世界経済における現在の中国の地位は、清朝の乾隆時代よりも下なのである。
清朝乾隆時代の中国の国民総生産(GDP)は世界の51%にあたり、
孫中山(孫文)が中華民国を建国した当初の中国のGDPは世界の27%
であり、
中華民国11年のときのGDPも依然12%に達していた。
中共が政権を取った際の中国のGDPは世界の5.7%を占めていたのが、
2003年になった時点では世界の4%にも達していなかった。
国民政府時代の数十年間の戦争によって引き起こされた経済的下降とは異なり、
中共は基本的に平和な時代において経済的下降を引き起こしたのである。

中共は、党の集団利益が至上という欠陥経済改革を維持し、
政権執行を合法的にするために、目先の功利を追い求め、
その結果、国家に悲惨な代償を払わせている。
20年以上に及ぶ経済の急速な発展は、
その大部分が資源の搾取となる過度の消耗と浪費という基礎の上に成り立っており、
往々にして環境の犠牲をその代償として支払っている。
中国のGDPに示される数字は、その相当な部分が、
後世の人々が与えられるはずの機会を犠牲にすることによって獲得されたものである。
2003年、中国の世界経済における貢献は4%にも満たないのに、
鉄鋼やセメントなどの消費は、世界の1/3にも達しているのである
(新華社2004年3月4日報道)。


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