中曽根康弘元首相の本
結構オススメです
この本によると、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」は著者本人が
映像化を絶対的に拒否
していたそうです。
でも、なぜNHKで映像化されたんでしょう。
誰がどのような理由で故人の意思に反して映像化を許可したんでしょうね
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新保守主義とは、歴史、伝統のよきところを守るとともに、
主として科学技術
- 原子力、宇宙開発、DNA(生命科学)、高度情報、コンピュータ、衛生等 -
を駆使して共同体的基盤の上に想像力をもって新時代を切り拓こうというものだ。
連続の上に非連続を展開する力を持つから新というのであり、
それは保守のルネッサンス(再生)ではない。
従来を踏襲さえすればよいというものでもない。
限りなき前進である。
生命力のある実存である。
エドモンド・バークが言うように、維持するために改革する。
歴史の推進に鋭敏なのである。
自由主義とは、小さな政府、規制排撃、個人・人権の尊重、反官僚、市場の重視、地方分権
を志向する思想である。
これを共同体的基盤の上に原則として実現運用する。
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戦後の民主主義は切り花なのである。
自分で汗や血を流して作り上げたもの、手にしたものと、そうでないものとは違う。
今までの教育改革は、結局小手先だけのものであって、
一番大事な日本人の心と心の故郷に触れるところまで踏み込んでいない。
多少能率が悪くとも、今度はこの肝心な部分に大きな力を入れて改革しなければならないのである。
憲法についても、同じことが言える。
日本の国会は、自ら憲法を作ったことのない国会である。
明治憲法は明治天皇からのお下げ渡しであり、
現在の憲法はマッカーサーからのお下げ渡しである。
主権在民の国に、自ら憲法を作ったことのない国会が存在するというのはどういうことであろうか。
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ロッキード裁判でのコーチャン証言は、弁護士は立ち会わず反対尋問を許さない
という状況での証言であったので、刑法・刑事訴訟法に反した。
それをそのまま証拠として採用できたのかどうかは未だに疑問の残る問題である。
ここまで
コーチャン証言というのを初めて聞きました。
今度、ロッキード裁判関連の本で見てみたい。
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私がこれからの日本が持つべきと考えている哲学を簡単に列挙すると、
まず第一に自然主義である。
自然を尊び、自然と共存していく。
第二は歴史主義である。
民族の伝統と歴史を大事にする。
第三は科学主義である。
合理主義のよき面を捨ててはならない。
第四は人類主義である。
個の尊厳とともに人類全体の幸せと共生を念じなければならない。
共同体はその一環である。
第五は宇宙主義である。
DNAから宇宙の隅々までいたる存在が解明されてきた。
われわれは望んで日本人に生まれたわけではない。
大宇宙の大きな摂理の中で与えられたものである。
個人も日本もこの大宇宙の恩寵の中で、動植物、人間、国家と共生している。
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かつてキッシンジャー博士と東西の話をしたことがある。
「あなた方、欧州、米国というものは油絵のようなものだ。
われわれ東洋というものは日本や中国の墨絵のようなものだ」
と私が述べると、彼は「それはどういう意味か」と聞く。
私は、「油絵というものはNATOとかワルシャワ条約機構みたいに
ぴったりとカンバスを全部色で塗りつぶしてしまう。
白いブランクの部分がない。
これがあなた方のやり方だ。
しかし、アジアには日本や中国の墨絵のように白い空白の部分がたくさんある。
そこに一つの余裕があって、しかもしれが美をなしているので、
全部塗りつぶす必要はない」と答えた。
ーー中略ーー
洪水が起きた場合には、水を遊ばせる場所が必要である。
堤防が破れても人家の方へ行かないために、ある場所で水を遊ばせておく。
そういう物理的、思想的空間をアジア人は生活の知恵で今まで保持してきた。
つまり、時空の過程にある寛容の段階を認めていく。
それから、時間的な過程で処理していくという余裕を持っている。
したがって、矛盾との同居もある程度認める。
あるいはグレーゾーンの存在も認めていく。
むろん、永遠に放置するわけではないが、
そういう一つの思考方法、生活様式をアジア人は持っている。
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日本人に言っておきたいこと 中曽根康弘
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