私達は学校で江戸時代の農民は貧しく、武士に搾取されていたという風に習ったが、
それは真実ではない、という本
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日本における耕地面積の推移は、
中世の室町時代中期を1とすれば、江戸時代初頭の江戸幕府成立時には1.7、
江戸時代中期の享保期では3となり、いかに耕地造成の規模が大きく、
開発のスピードが早かったかを伺うことができる。
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ごく簡単な数式によって、幕府の享保元年(1716年)から天保12年(1841年)まで
の年貢率を見れば、幕領400万石のうち年貢米が150万石前後で、
年貢率は30-40%となる。
10カ年平均年貢率の推移では33%前後で、最も高い時期でさえも
宝暦年間(1751-1764)の37%程度である。
すなわち幕府の年貢率は四公六民ないし三公七民となる。
ところで分母となる村高は、ムラにおける年間の産出高あるいはムラの年収を表す
形式上の数値でしかないのである。
現在の国民所得の概念からすれば、江戸時代の村高は必ずしも年々の村民所得を表示したものではない。
ーー中略ーー
さらに重要な事に、農業生産の実態、つまり検地以降の土地生産性の上昇、
収益性の高い商品作物の導入、農産加工業の進展、農民の賃銀収入などといった
経済条件が、「村高」には反映されないのである。
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貧農史観を見直す 佐藤常雄 大石慎三郎
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