以前こ趙紫陽極秘回想録を読んだ際に、天安門事件に深く絡んでいる胡耀邦の存在を知った。
もっと知りたいと思い、本を借りたのだが、
この著者は胡耀邦のブレーンだった人で、
この本は彼の視点から80年代の中国政治を見ている
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学生の民主化運動といわれるブルジョア自由化に寛大であったことが、
胡耀邦に辞職を迫る口実とされたが、真の突破口は胡耀邦が鄧小平の引退に賛成したことであった。
その経緯は次のとおりである。
十二期六中総(1986年9月)の前に、鄧小平は胡耀邦と懇談し、
「私は完全に引退するから、君も半分だけ引退せよ」と言った。
つまり、鄧小平は中央軍事委員会主席を辞任して、完全に引退し、
胡耀邦は中央軍事委員会を引き継ぎ、当時の鄧小平のように第二線に退けというのである。
鄧小平の意図は、自分が大勢の老人とともに引退し、
胡耀邦と趙紫陽が第二線に退き、それぞれ中央軍事委員会主席と国家主席に就任し、
第一線の党総書記と国務院総理を胡啓立や李鵬ら若い人に譲らせることにあった。
胡耀邦はその場でもろ手を挙げて賛成し、
「指導職の終身制をやらないという模範を後の世代に示すことになります」と言った。
このやりとりは、胡耀邦が趙紫陽に伝え、さらにいくつかの省の第一書記に打ち明けると、たちまち広まってしまった。
そして、胡耀邦はまたたくまに孤立状態に追い込まれた。
まず、趙紫陽自身が第二線に退きたくなかった。
ついで、鄧小平と胡耀邦がまとめた構想によると、第二線の老人が鄧小平とともに完全に引退しなければならないばかりか、鄧力群、姚依林、宋平など、胡耀邦や趙紫陽と同じ世代の第一線にいる者も第二線に退かなければならないし、党、政府、軍のすべてにこの基準を適用すれば、
老人や若くて精力にあふれていると自認している半老人がどのぐらい権力を失ったり、
そがれたりすることすることになるであろうか。
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著者は胡耀邦と、党内に三つの勢力、あるいは三つの派閥が形成されていたことを議論をした
一つは、ソ連とコミンテルンに追随し、スターリンに信頼を寄せ、服従していた教条主義勢力である。
この一派は、毛沢東以前に中国共産党内で長期にわたって権力を掌握していた。
その権力と影響力はのちにいささかそがれたとはいえ、
終始一貫、党内の対抗勢力として長期にわたって存続してきた。
ーー中略ーー
もう一つは、「おれたちが天下を取ったんだから、おれたちが天下を治める」という
鉄砲主義勢力や民族主義勢力である。
ーー中略ーー
残りの一つは、中国で自由と民主という理想の実現を追及する民主改革勢力である。
青年や学生出身の知識分子の党員は、この派に属する人がかなり多い。
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胡耀邦はなぜ権力の最高峰に「よじ登る」ことができるのか
胡耀邦が自由・ヒューマニズムの理想を備え、誠実で偽善的でなく、
人を痛めつけるのを好まない人であれば、
どうして権力闘争があれほど激烈な中国共産党内で長期にわたって生存し、
しかも、権力の最高峰に「よじ登る」ことができたのかと聞かれたことがある。
私の回答は、非常に簡単である。
胡耀邦が幸いにも生存し、しかも、高位に上り詰めることができたのは、
共産党が権力を掌握したのちの激烈な闘争の時期に、
長期にわたって青年団の指導工作を担当していたからである。
1952年に四川省北部から北京にやってきてから、1966年に「文革」が勃発するまで、
胡耀邦はずっと青年団中央の第一書記の任にあり、
青年団の歴史でもっとも長く書記の地位にあった。
これはきわめて特殊な立場であった。
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中国的転変 阮銘
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