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日米繊維紛争 I.M.デスラー

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日米繊維紛争―“密約”はあったのか (1980年)/日本経済新聞社
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沖縄返還との条件だった日米繊維問題
その日米繊維問題はどのような問題と背景で、どのようなことになったのか、
ということを知りたかったのですが、この本は主に交渉の経過にページが割かれていました。

そもそものきっかけは、当時日本の繊維が安価で良質だったため、
アメリカは大量の日本の繊維を輸入し、結果としてアメリカ国内の雇用が奪われていきました。
そこでアメリカの繊維業界が、政府に対して何とかしろ、と訴えたことに由来する。
自由貿易を標榜していたにもかかわらず、アメリカ政府は日本に輸出を控えるよう
求めてくるわけです。

最終的には強圧的に押し付けられた形になった日米繊維協定ですが、
結ばれた頃には繊維の問題はそれほど日米で大きな問題とはならなくなっていました。

日本の繊維業界は厳しい輸入外国製品の脅威にさらされていたのです。
1971年に円の切り上げ、国内のインフレにより、
1971年は日本の大概輸出入比率が五対一であったものが
1973年には第二次製品の輸入が輸出を超えるという逆転現象が起きていた。

1976年のはじめにホノルルで開かれた日米両国の業界指導者間の協議で
話題の中心になったのは、
「発展途上諸国の低コスト製品がもたらす競争の激化」をめぐる問題であった。

こうして、日米繊維協定がようやく発効した時、その規制対象である
日本の対米輸出はすでに減少傾向を示していた
のです。
1975年には協定で定められた規制のほとんどは撤廃されるに至ったようです。


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