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ユダヤ難民を助けた日本と日本人 上杉千年

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ユダヤ難民を助けた日本と日本人―八紘一宇の精神日本を救う/神社新報社
¥972
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いわゆるA級戦犯で訴追された松岡洋右、東條英機、板垣征四郎の3名が
戦時中(主に直前)に、ユダヤ難民をヨーロッパから救出した、ということを説明している本

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ローマ法皇アレキサンデル六世は、この二大カトリック強国(スペインとポルトガルのこと)の
利害対立を調整するため、デマルカシオン(航海領域=征服領域)を
1943年に制定した。
これは、大西洋上に子午線沿いの一線を引き、それより西をスペインに、
東をポルトガルに「与えた」のである。
翌年には、ポルトガル王とスペイン王との間で締結されたトルデシーリアス条約によって修正され、
前記の子午線を約1500キロ西へ移動したので、ブラジルはポルトガル領となった。
この条約は1506年に法皇ユリウス二世によって承認された。
したがって、我が国もローマ法皇によって、両国の一つに属する植民地として現在も与えられているということになる。

それは、このデマルカシオンはローマ法皇によって取り消されていないから、
有効性は現在までも持続されているのである。
ローマ法皇はゴッドより与えられた不謬権を持っているので、
いったん発せられた勅書は取り消されるということはないのである。
よって、アレキサンデル勅書は理念上は今日も生きているということになる。

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ヨハネ・パウロ二世は法王就任の翌昭和54年6月、祖国ポーランドを訪れて平和を祈るミサを行い、その上でかの悪名高いアウシュビッツを訪れた。

そして、あるユダヤ人の身代わりになって死んだと伝えられるマクシミリアン・コペル神父が閉じ込められていた房内で犠牲者のために祈りを捧げ、そして言った。
「狂ったイデオロギーが人類最大の悲劇を生んだ。
人類は二度とこのあやまちを犯してはならぬ」と。

法王のこの言葉には重大な偽りまたは過ちがある。

ナチによるユダヤ人虐殺は、人類最大の悲劇とはいえぬ。
それよりももっと大きなキリスト教による人類の悲劇は他にいくつもある。
それはナチの行為をいかに巨大に宣伝しようとも、無視されたり忘れ去られたり出来るようなものでは決してない。

キリスト教は、ローマ帝国の国教となって以来、1600年の長きにわたって絶えることなく
ユダヤ人を殺戮し続けてきた。
これはナチの行為よりはるかに大きな人類の悲劇の一つであろう。

法王はナチスを狂ったイデオロギーというが、そのナチズムがユダヤ人消滅を企てた原因は疑いもなくキリスト教にある。
キリスト教が、ゲルマン民族をキリスト一色に塗りつぶす以前に存在した
ゲルマン民族の信仰・宗教には、
グリム兄弟が生涯かけて収集した「グリム童話」(実はゲルマン神話)にみられるように、
そして、ハインリヒ・ハイネが歌い上げているように
(「流刑の神々・精霊物語」を書いて、
追放され、処刑され、押しつぶされ、地に埋められ、海や川に投棄されたギリシャ・ローマ・ゲルマンの古代の神々の底知れぬ嘆きを美しい文字で切々と綴った)
ユダヤ人への憎悪など露ほどもあろうはずはなかった。

ドイツ人に、ユダヤへの憎しみを教えたのはキリスト教以外の何者でもない。
ナチズムが全盛を極めている時にも、彼等が夥しいユダヤ人を毎日毎日ガス室に送り込んでいる時にも、ローマ法王ビウス12世は、ナチに対する非難など何一つしなかった。
むしろ法王は、カトリック教徒たるヒットラーのイデオロギーとその勝利を支持し祝福し続けていた。
しかもヨーロッパの何万ともしれぬ「聖職者」たちは、
教会に保存されている戸籍簿や教区記録に基づいて、
所属する信者たちに「この者はユダヤ人に非ず」という証明書を発行していた。


このようなユダヤ観であったからして、
アウシュビッツ収容所(作業期間1941年11月~45年1月27日)のアイヒマン中佐は
ローマ法王庁の発行したパスポートにより南米のアルゼンチンへ逃亡することができた。

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安江大佐(安江仙弘)は、日本人として帝国軍人として、
ユダヤ民族がいかに脅威の存在であるとしても「微動だにするものではない」、
われに八紘一宇の精神あり。
この精神を持ってユダヤ人にも対処すれば道は拓かれるという確信が根底にあったのである。

安江大佐は、昭和12年12月に第一回極東ユダヤ人大会を樋口少将を補佐して成功させた。
ここに、ユダヤ研究家から実務担当者となり、以後の生涯を難民保護に挺身した。
それ故に、敗戦後ソ連軍に不法抑留を受け、昭和25年7月13日にハバロフスク収容所にて
62歳で病死することになる。

ーー中略ーー
(昭和13年)安江大佐は「五族協和」(満州人・漢人・蒙古人・朝鮮人・日本人)にユダヤ人を加え
『六族協和』の構想を持って、昭和13年1月21日付で関東軍司令部をして、
「現下における対猶太(ユダヤ)民族施策要領」を策定させた。
それは、
<在極東猶太民族の日満依存傾向を利導してこれを世界に散在する彼等同族に及ぼし以って
彼等にして功利的術数をすなわち真に正義公道を基として日満両国に依存するにおいては
これを八紘一宇の我が大精神に抱擁統合するを理想とす>
というものである。

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日本で戦後「ドイツを見習って保障しろ」と声高に主張した某新聞は、
当時「ユダヤ難民への寛容政策はやめるべき」というキャンペーンを張っていたという。

ここまで
どこの新聞だろう


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