猛牛と呼ばれた男 「東声会」町井久之の戦後史 新潮文庫 / 城内康伸 【文庫】 |
山口組傘下の暴力団東声会の町井久之と在米韓国人との関係が別の本に書かれていて興味が湧いてこの本を借りた。
残念ながら、この本にはそれは書かれていなかったが、本自体はとても面白い。
最近、朝鮮総連詐欺事件の判決が確定しました。(ここ)
全く知らない事件だったので、なんだろうと思ってやり過ごしていたら、
この本の町井久之と大いに関係があることが本の冒頭に書かれていた。
この事件は、朝鮮総連から土地建物と4億8千万円をだまし取ったものだが、
この不動産が六本木のどまんなかにあり、解体される前のビル群は、
「東亜相互企業」のもので、この会社の社長こそが町井久之、本名は鄭建永なのだ。
ビルの名前はTSK・CCCターミナルビルといって、1973年に建てられた。
この本を読んだのが、詐欺事件のことを知った数日後だったんで、
こんな偶然があるもんなんだ、と驚きました。
この町井久之は在日本大韓民国民団(通称、民団)の幹部と言っていい。
彼は2002年に死去している。
1951年 在日本大韓青年団本部監察委員長
1954~56年 在日本大韓体育会中央本部副会長
1964~2002年 在日本韓国人商工会連合会顧問
1967~2002年 在日本大韓民国民団中央本部顧問
1971~79年 在日本大韓体育会中央本部会長
町井久之が、極真空手創始者の大山倍達と一緒に朝鮮総連の前身、朝連と立ち向かった話などが紹介されている。
町井久之の奥さんは保予という人と事実婚をしていた。
この女性は、町井久之と出会った頃は、すでに婚約者がいたが、
町井久之に(本人も言っているが)半分誘拐で自宅に監禁をし、
猛烈なアプローチをされている。
著者は、ストックホルム症候群、つまり犯人と長期間一緒にいる間に過度な愛情・同情を抱くようになったと考えている。
そういう経緯で保予さんはそれから一生連れ添うことになったというから驚きです。
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町井、1966年6月23日号の週刊現代でのインタビュー
終戦直後の9月に結成された朝鮮人連盟が、途中から左翼の巣になってしまった。
日本は無警察状態だったから、反共的な連中は、あらゆるテロとリンチを左翼から受けた。
私は戦争中”東亜連盟”の石原イズムに傾倒していた男だから、
この状態にガマンならなかったのです。
そこで、11月に反共を基調とした朝鮮建国促進青年同盟を結成しました。
これが、後の民団の前身です。
なにしろ反共主義者は家をおそわれる、焼かれる、リンチを受ける。
自分の家にも帰れないありさまでした。
私は正面切って左翼と喧嘩をやりました。
行くところ敵なく、左翼の連中を叩き潰して歩きました。
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町井のグループはいつしか「町井一家」とか「町井組」と呼ばれるようになった。
しかし、それは町井が命名したものでは決してなく、
町井と行動を共にした配下の若者が勝手に名乗り始めたのだった。
着々と地盤を固めていった町井は銀座でも新橋寄りの一帯を勢力範囲としたことから、
浦上の”銀座警察”に対して”新橋警察”と呼ぶ者もあった。
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「重光」とは、ロッテの創業者である重光武雄、在日実業家として成功を収めた辛格浩のことだ。
戦前の1941年に祖国から海を渡った重光は、チューインガム製造を手始めにして、
86歳になる今年(2008年)まで「ロッテ王国」の創業者として、
ずっと事業を牽引し続けてきた。
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「帰国事業」とは言っても、在日同胞の9割は朝鮮半島南部の出身者だ。
韓国政府や同政府を支持する在日本大韓民国居留民団(民団)は、
北の共産主義社会は自由も民主主義もなく、
居住地や職業の選択の余地もない強制労働収容所だとして「帰国事業」に激しく反対した。
民団は「北韓(北朝鮮の韓国での呼称)送還反対闘争委員会」を結成し、
外務省などへの抗議行動を展開した。
「帰国事業」を後押しする朝鮮総連とこれを阻止しようとする民団の下部組織は、
全国各地で再び乱闘事件を重ねる。
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日韓国交正常化交渉は李承晩政権下では、請求権問題が原則論の応酬にとどまり、
行き詰まりを見せていた。
政権を引き継いだ朴正煕は日本の「賠償金」に基づいて経済を発展させてゆく方針を固め、
交渉妥結を急いでいた。
1962年2月23日付で韓国外交部が作成した資料は、
朴政権が打ち出した経済開発5カ年計画達成のためには
「4億7千万ドルが不足している」と明らかにし、
「日本の資金で充当するのが最良」と指摘していた。
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「銀座でクラブやるときも白河の開発のときも、”六本木”が朝鮮人だから、
ヤクザだから日本の銀行は貸してくれなかった。
みんな貸し渋ったんです」
と東亜相互企業専務だった金世基は振り返る。
「そのときに、町井さんがカネが足りなくなって朴鐘圭に泣きついたんだ。
それで(韓国)外換銀行が出てくるんだ。
朴鐘圭が朴大統領に頼んで、それで外換銀行がどーんと(カネを)出したんだ」
ここまで
朝鮮人だから、というよりは
まず第一に「ヤクザ」とわかっている人に金を貸す銀行は日本にはありません。
そして、一般に日本国籍を持っていない人に銀行が貸し渋るのも当然です。
他国に国籍があれば、返済に困って他国に逃げる可能性は日本国民より高いのだから。
これは、在日朝鮮人とか関係なく、すべからく全ての外国人に当てはまるものだし、
どこの国の銀行だってそう考えるでしょう。