「情報格差社会」にて紹介した記事にあるように、
多くの人は話を単純にしたがり、
それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である「陰謀史観」に飛びつく
そうならないためには、自らの考えの根本をしっかりと捉え、
自らの考えが変わることを素直に認め、
自分の考えは絶対に正しいと考えるからこそ、
そのための都合のいい情報に飛びつくわけです。
これは右も左も関係ない。
自分がこうだと思ったことについて、
それに反する、あるいは少しでもずれた考えについては
「嘘」「捏造」と決めつけて自分の考えと合ったものだけを受け入れます。
それが正しいかどうかを知りもせず、矛盾があろうがなかろうが構わずです。
ある意味で、「ぶれない」とも言います。
最近話題になった美味しんぼなどが該当します。
最近話題になった美味しんぼなどが該当します。
これとは逆に、現実の事象が自らの考えと異なる場合に、
その違いがどこから生じるのかを考え、調査し、
自らの考えを現実に即して修正していく人がいます。
ある意味で、「ぶれる」とも言います。
私は、後者でありたいと思っています。
ただし、このタイプで「コロコロ」変わるようでは
単に「自らの考え」を持っていないことになります。
頻繁に変わらないまでも、人によってはコロッと前触れ無く変わったように思える人もいます。
そうならないためには、自らの考えの根本をしっかりと捉え、
自らの考えが変わることを素直に認め、
その変化をきちんと公にすることが大事なのではないでしょうか。
人は過ちを犯すものであり、完璧な考えなど存在しないのです。
人は過ちを犯すものであり、完璧な考えなど存在しないのです。