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海洋をめぐる世界と日本 村田良平

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海洋をめぐる世界と日本/成山堂書店
¥1,995
Amazon.co.jp

村田良平回顧録など、元外務省事務次官の村田良平さんの本

この本では、海洋をめぐる法規制、国際組織、そして歴史を説明しています。

ヘルハルダス・ファビウス
彼はペリー来航の翌年の1854年、オランダの「スンピン」号で来航し、
日本人に対して初めて近代的海軍とは何かを教えました。
彼はバタヴィアから毎年長崎に来航し、毎回三ヶ月程度滞在して、
当時は”伝習”と呼ばれた今日でいう「研修」を1854年、55年、56年と
三回にわたって行い、幕府及び諸藩から長崎へ派遣された優秀な青年たちに、
蒸気機関術、造船術、砲術、操船術、海事知識一般を手に取るように熱心に教えました。
1855年オランダ国王は「スンピン号」を将軍に献上しましたが、
その引渡し式は長崎においてファビウスの手によって行われ、この船は「観光丸」と名を改め、
日章旗をひるがえした最初の洋式軍艦となったのです。(外輪式推進木造艦)
ーー中略ーー
彼は、日記に”日本人の目的達成のために援助を惜しんではならない・・
武器を使って影響力を得ようとしてはならない・・・
日本人が求める知識のすべてを忍耐強く伝授し、
優れた学術書を提供して、オランダ語の普及に努めるべきである”
と記入しています。

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海運と不可分の海上保険制度は、古くフェニキア人やギリシャ人も持っていて、
近世の初めまでは欧州大陸で発達していたのですが、暴風等による海難に加え、
海賊や私掠船による被害をもカバーする目的で、
17世紀末からロンドンが保険の中心となりました。
有名なロイズという英国の店は、1688年から船主や船長や
海上保険引受人が出入りするコーヒー店でしたが、
これら引受人たちも「ロイズ」と呼ばれるようになりました。
(略)保険の重要性が認識され、ロイズは船主、造船業者、海上保険業者
等の社団に改編されました。
後年1871年英国議会は特別立法で「ロイズ法」を制定し、ロイズは非営利法人となりました。
今日でも海事、特に船の規格や登録に関し、最も権威のある情報を世界中から集め、
世界の損害保険の中心的市場となっているのは「ロイズ」です。

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英国、米国、日本が世界の三大海軍国とされるようになったのは、
1918年11月の第一次世界大戦終了後のことです。
(略)1920年の船腹量をみると、大英帝国が約1800万トン、米国が約1450万トン
であったののに対し、日本商船隊は約300万トンで第四位のフランス(294万トン)を
ほんのわずかに上回っていたに過ぎません。

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時代の変化に伴い、戦後海運にも政府が介入しなければならない局面が
ある程度発生しましたが、それでも航空に比べれば度合いは知れています。
ちなみに重量では、日本の貿易量の99.7%が海上貨物、0.3%が航空貨物、
貿易額でも70%以上が海上貨物です。

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貿易立国の日本にとっては、海運は極めて重要な活動です。
日本は資源が乏しいために、外国から大量の原料を輸入し、
それを製品にして輸出することを以前から行なっています。
(略)全世界貿易額の約6%は運送費で、その相当部分は海運ですから、
海運それ自体が大切な産業です。
1999年の日本の輸入は約7億5700万トン、うち海上輸入は約7億4900万トン、
輸出は約1億200万トン、うち海上輸出は約1億200万トン、
つまり重量では輸入は輸出の6倍です。

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ちなみに日本では、「昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効により、
日本は独立した」という人がいますが、これは間違いです。
ポツダム宣言には、「日本政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言するよう要求する」とかいてあります。
日本という国の無条件降伏ではありません。
日本は米国を中心とする連合国に占領されていたが、天皇もおられたし、
日本政府も続いていました。
日本は平和条約発効以前からすでに幾つかの国際機関に加入していましたし、
後述のように、1949年に、「阿波丸」事件について日米協定が結ばれています。
独立していない国と米国が条約を結ぶことはありえないことです。
要するに日本は、独立を失ったのではなく主権を極度に制限されたのです。

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本来、米国の法律は、米国の領土内、あるいは米国人、
米国籍に属している企業や船に適用されるべきものです。
しかし、米国は、海運に限らず、広く法律的な専門用語でいう「域外適用」により、
米国の国内法に違反した場合に外国の企業を処罰できるとの内容の法律を
平気で作る国なのです。
このため、日本や欧州はしばしば苦労して来ました。
米国に入港する外国船の乗組員に米国の労働法を適用するなどの問題が起こったからです。

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一般にマラッカ・シンガポール海峡やドーバー海峡が最も船の交通の輻輳している海域
と思われていますが、実は世界で最も船舶の交通が多いのは、日本の沿岸水域です。
浦賀水道を通る商船は一日800隻、明石海峡は1200隻以上です。
小型船が多いとはいえ、数だけで言えばそれぞれマラッカ・シンガポール海峡
(一日約600隻)の1.3倍と2倍になります。

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核物質の輸送をめぐる問題では、日本は原子力発電所で燃やした使用済み燃料を
英国・フランスに持って行き、再処理によって回収されたプルトニウムを用いて製造した
MOX燃料を日本に持ち帰っています。
このMOX燃料輸送の専用船が、万一シージャックに遭ったり、
海賊にプルトニウムを含んだMOX燃料を盗まれたりすれば、国際的な大問題になります。
したがって、核物質防護の立場から運搬船は原則としてどこの港にも立ち寄らず、
詳細な航路も伏せて航行しています。
日本の海上保安庁は、この船の日本の領海内航行の警備を行なっています

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万国公法(今の国際法)を受け入れた日本人の中には、この法は洋の東西を問わず
人類に普遍的な理念に基づくものだと考えた人もいます。
国際法の理想化派です。

次に、実際的考慮から、このルールを守ることが日本の文明度を認知させるために必要
と考えた人たちもいました。
これらの人々が多数で、いわば国際法の実用派と言えましょう。
(略)明治時代の日本が概ねこうした実用派に指導されたことは幸いであったと思っています。

ビスマルクが述べたように
「いわゆる国際法は大国の利益に資するもので、その限りにおいて大国はこれに従うが、
一旦自国にとって不利となれば大国は国際法を捨てる」
というのと同様の考え方をとった人たちもいました。
(略)権力的政治派と言えましょう。
福沢諭吉のような偉大な先覚者も、国際法についてはビスマルクに似た理解をしていました。

しかしこの三派のうち第一者と第三者は、共に誤っています。
普遍的に妥当する理念の全くない国際社会はありえず、他方各国の利己心が強いので、
これを無視した規範は現実に充分機能しないからです。
しかも、国際法は国内法以上に、社会の経済的、技術的な進展や、
人々の倫理的意識なり価値観に適応しない限り遵守されなくなってしまいます。

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ダニエル・デフォーが著し1719年に出版された物語「ロビンソン・クルーソー」のモデルは
セルカークという英国人です。
セルカークは私掠船の乗組員でしたが、仲間割れでファン・フェルナンデス島へ置き捨てられ、
この島で長い孤独生活を送り、偶然助けられてロンドンへ戻り、回想録を出し、
これをデフォーが読んでヒントを得て著したのが「ロビンソン・クルーソー」です。


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