90年11月の時点で、サウジの炎熱の砂漠には20万の米軍部隊がうずくまっていました。
そんな中、シュワルツコフ総司令官が、4万個のウォークマンを送ってもらえないかと日本に頼んできたのです。
単調な砂漠の中で、朝から晩まで兵士がじっとしていれば、精神に変調をきたす。
「拷問状態だ、音楽がほしい」という兵士たちの声だというのです。
アメリカ政府に頼んだが、武器弾薬のために1セントでも多く必要な時にダメだと言われたという。
そこで日本の善意にすがれないか、無理を承知でのお願いだというのです。
僕は、彼等の要求の意味を理解しました。
目に浮かんだのは、かつてエジプトに勤務していた時に訪れたシナイ半島停戦監視軍のテントでした。
砂と岩と照り返す強烈な太陽の下で過酷な勤務をしていた兵士たち。
サウジの前線も同じ状態に違いない。
助けてやろうと思い、大蔵省に出かけました。
担当の田中廣明主計官はスケールの大きい男ですが、他の要求には前向きに対応してくれていた田谷さんも、この件については、ウォークマンを官給品にしてる軍隊など世界中どこにもないとニベもなかった。
やはり日本の予算制度にも馴染みませんでした。
万策尽きた僕は、11月13日、ソニーの盛田昭夫会長を訪ねました。
盛田さんの決断は早かった。
「そりゃそうだ。あんなところに何ヶ月もいたら気が変になっちゃうよ。ソニーが寄付してあげますよ」
そう言うと、盛田さんはすぐさま傍らの電話機を取り上げて、担当役員に指示したんです。
驚きました。
ソニーの善意の1万台のウォークマンは、湾岸に送られ、兵士たちが交代で音楽を聞くことになりました。
しかし、「日本は肝心のことはなにもしないでウォークマンでごまかそうとした」
という論評がアメリカで出ました。
僕はそのことで盛田さんにお詫びに行きました。
盛田さんは口を尖らせて、早口で、いつものように言いました。
「兵隊が喜んでくれたんなら、それでいいじゃないですか」
「岡本行夫 現場主義を貫いた外交官」より
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ソニーのウォークマンと湾岸戦争
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