前回の続き
ベルリン2日目はまず、ベルリンの壁ツアーに参加しました。
このツアーでは、ベルリンの壁関連の史跡をめぐるツアーで、多くは歩いて周ります。
宿泊していたホテルが下の地点A
9時頃に地点Bのチェックポイント・チャーリーに集合でした。
チャーリーという名前に意味は無いです。
いわゆるA、B、Cをアルファ、ブラボー、チャーリー、というふうに言ったにすぎないです。
ベルリン2日目はまず、ベルリンの壁ツアーに参加しました。
このツアーでは、ベルリンの壁関連の史跡をめぐるツアーで、多くは歩いて周ります。
宿泊していたホテルが下の地点A
9時頃に地点Bのチェックポイント・チャーリーに集合でした。
チャーリーはこの人とかんがえる人が多い。
いわゆるA、B、Cをアルファ、ブラボー、チャーリー、というふうに言ったにすぎないです。
これは、東西ドイツが分離していた頃の写真
2つの壁があって、その間が緩衝地帯となっていました。
これはポツダム宣言時の写真
左からイギリスのチャーチル首相、アメリカのトルーマン大統領、ソ連のスターリン
これは、東ドイツ時代の車
当時は東ドイツには大衆車がなく、西側に対抗して作ったトラビ
こちらは、ベルリンの壁が存在した場所
ベルリンではいたるところでこのようなブロックが存在しています。
ナンバープレートにあるように、このバスはロシアから来ている。
ガイドさんに聞いた所、最近は非常に多いそうです。
ベルリンの壁跡地も多くをロシア人の富裕層が買おうとしている、とのことで住民の議論になっている。
ベルリンの市旗は熊をシンボルとしている。
この熊はベルリンのいたるところで見かけることができます。