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封建制とフューダリズム

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もっと混乱をもたらしたのは、中世の特徴的な制度とされている「封建制」という訳語である。
封建制という言葉は、西洋史の「フューダリズム」あるいは「フューダル・システム」の訳語だが、
西洋史におけるその実態は、騎士が複数の君主と契約して、自分の所領の一部をそれぞれ献上する、
そしてまさかのときの保護を保障してもらう、というシステムなのである。
しかもこれは、ヨーロッパ全体にあった現象ではない。
東はドイツのエルベ河から西はフランスのロワール河までのあいだにしかない

こういう制度は、イングランドにはなかった。
それからプロヴァンス地方にもなかった。
ポーランドにもなかった。
つまり、エルベ河からロワール河ということですぐわかるように、アーヘンを中心にしたフランク王国の領土、フランク人の住地にしかなかった制度である。
これは、ローマ人によって都市化した地域に、フランク人の部族社会が侵入した結果生じたものだ、としか考えられない。
だから、全ヨーロッパ的な現象でもないし、まして全世界的な現象でもない。
それを日本の西洋史学者は、封建制と訳してしまった。

シナでいう封建とは、それとはまったく違うものである。
武装した移民が首都から出て行って新しい所を占領し、そこに都市を建設する、
それを封建と言ったのである。
後世はそういうことができなくなって、すでにある都市に、、首都から皇族が派遣されて王となるということである。
だから、シナの封建制と、ヨーロッパのフューダリズムとのあいだには、何の共通点もない。

岡田英弘著作集Ⅰ 歴史とは何か より


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