カエサル・シーザーが死んだ後、シーザーの跡を継いだアウグストゥス(オクタヴィアヌス)の話
戦闘の天才、政治の天才であったシーザーは外交がとても上手だったのに対し、
初代皇帝のアウグストゥスは内政がとても上手だったように感じられる。
彼が在位中の40年近い間に、帝政を確固とする
アウグストゥス自身は、法・規則を遵守したが、
彼の血を引く娘たちはかなり奔放だったようで、島流しになった人たちが多かったようだ。
有名な愚帝「ネロ」の母親もアウグストゥスの血を引く孫娘
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この時期のオクタヴィアヌスは、これより一千五百年が過ぎたルネサンス時代の政治思想家マキアヴェッリが言うように、「新しい政策を断行しなければならない場合は、人々に考え批判する時間を与えないよう次々と行うべきである」
を、まるで先取りしたかのごとくであった。
ここまで
日本だと、逆に取っ掛かりができるまではできるだけゆっくり行い、人々に考える余裕を与える。
そして、取っ掛かりができ、人々に準備ができたら一気呵成に政策を断行していく、ということが適しているように思います。
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ローマ帝国の領土
西ヨーロッパから北アフリカ、中東の半分ほどを制している。
しかし、このときがローマ帝国の最盛期と言っていいですね
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カエサル、これは17歳でしかなかったオクタヴィアヌスをカエサルが養子に、
つまり自分の後継者に遺言したから得た家名だが、帝政時代が進むにつれて、
「皇帝」の代名詞になっていく。
二千年後のカイザー(独)、ツァーリ(露)とも、この意味の継承にすぎない。
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ローマの指導者階級に属す者にとっては不可欠の「ノーメンクラトール」だったが、
この職名の奴隷には、情報通であることでもう一つの仕事があった。
宴会の席での席順、ローマでは寝台式の台の上に横に臥して食事するのが習いだが、
その席順を決めるのも彼等の仕事であったのだ。
有力者として親しくなりたい人は、この奴隷にチップをわたして、席順を有利にはからってもらうことも珍しくなかった。
この「ノーメンクラトール」という言葉は、現代でも、語尾が少し変化しただけで使われている。
共産主義国の特権階級は、「ノーメンクラトゥーラ」と呼ばれたのだから。
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全てをつながげれば地球を二周すると言われるほどのローマ街道網は、
このように軍用が目的で敷設されたのである。
ローマ帝国全土に、可能なかぎり平坦に可能なかぎり直線に、
河川には橋を渡し山は削るかトンネルを掘り、幹線はすべて舗装され、
水はけも完璧な二車線のローマ街道が張り巡らせていく。
ここまで
まさに、「すべての道はローマに通ず」ですね。
軍隊が目的地にいくのにどれだけかかるかできるだけ正確にするために、
上のような性質の道路を建設したのだという。
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死の少し前のアウグストゥスが、ナポリ湾の周遊中に立ち寄ったポッツォーリでの出来事である。
エジプトのアレクサンドリアから着いたばかりの商船の乗客や船乗りたちが、
近くに錨を下ろしている船の上で休んでいた老皇帝を認めたのだった。
船上から人々は、まるで合唱でもするかのように、声を揃えて皇帝に向かって叫んだ。
「あなたのおかげです、我々の生活が成り立つのも。
あなたのおかげです、私たちが安全に旅をできるのも。
あなたのおかげです、われわれが自由で平和に生きていけるのも」
予期しなかった人々から捧げられたこの賛辞は、
老いたアウグストゥスを心の底から幸福にした。
彼の指示で、その人々の全員に、金貨40枚ずつが贈られた。
ただし、金貨の使い道には条件がついていた。
エジプトの物産を購入して他の地で売ること、である。
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