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蒋介石の外交戦略と日中戦争 家近亮子

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蒋介石の外交戦略と日中戦争/岩波書店
¥2,940
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蒋介石の外交に対する考えを、彼の発言や、最近公開され始めた
蒋介石日記などを通じて解明していく、という本

中国(中華民国)が国際連盟の非常任理事国に選任され、
蒋介石がその就任宣誓時に行った演説が「外交は無形の戦争である」である。
ここで蒋介石は皆「有形の戦争」及び「目前の戦争」のみを戦争と呼ぶが、
すでに「無形の戦争」は数十年前から開始しているのであり、
その「勝負」は、軍事と外交が「共同一致」することで決まるとし、
顧維鈞に対する多大なる期待を述べた。
ーー中略ーー
蒋介石の主張では外交の「成敗および勝負の価値は、一切の戦争よりも上」であり、
「政府と国民は外交当局に徹底した信任を与えるべき」となる。
すなわち、外交はすべての権力を集約しておこなわれるものであり、

そのために独裁的権力の確立が容認されるのであった。
なぜなら、それは通常の戦争よりも大きな効果をもたらし、国益に適うものであるからである。

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蒋介石の対日意識の最大の特徴は、日本の軍部(軍閥)を
政府(政党・官僚)および民間(財界・一般民衆)と完全に切り離して考える
「戦争責任二分論」をとっていたことになる。
ーー中略ーー
蒋介石は、「日本民族の精神構造上、天皇がどのような地位を占めているかは、
西洋人にはわからなくても、同じ東洋人である中国人にはよく理解できることであった」
と述べている。
しかし、最後まで蒋介石は、民族自決の原則を貫き、
天皇制に対する是非論には言及しなかったのである。
ーー中略ーー
1929年1月蒋介石は講演を行い、明治維新についての分析を行なっている。
ここで、蒋介石は戊辰戦争の歴史過程を詳しく述べ、薩長土肥が勢力争いをせずに、
調停には「一兵一卒」もいないにもかかわらず、「天子」の命をよく守り、
倒幕廃藩を行った明治維新を高く評価し、中国はこれを模範とすべきとした。
蒋介石はここで日本を「天子」には実質的権力がない「君主国」と規定しているが、
それにもかかわらず、民衆はよく秩序を守り、国家を愛している点は鏡とすべきである
と説いた。
蒋介石の理想は「三民主義」を「天子」とする国家の創設であったのである。

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蒋介石の論文「敵か?友か?」において対日政策に関する次のような考えを発表した。
①一般に理解有る中国人の全ては、日本人は結局「我々の敵には能わず、我々中国のまた日本と提携する必要が有ることを知っている」
②日本人の中にも同様に考えている人は少なからずいる。
③世界情勢からして、相互に提携を行う必要があるが、
現在中日関係は完全に日本が主導権を握っている。
中国国民党の「一面抵抗」「一面交渉」は
「実際には当局の無為無策を表しているに過ぎない」のである。
④日本が中国を支配するためには、沿岸を海軍力によって封鎖する必要があるが、
中国は「次植民地」の状態にあるので、欧米各国の経済的利益に抵触し、
これをおこなえば、中国を敵にするばかりでなく、
英国および全世界を敵とする覚悟がなくてはならないため、それは日本にとって、不利となる。
⑤日本が第二の満州国を作るという懸念をいう人がいるが、
それは国内の財政上の問題で不可能に近い。
⑥日本軍は現在満州国に10万の兵力を配備しているが、
それでも治安を維持できないでいる。
もし第二の満州国を作るとしたならば20万の兵力が必要となるが、
これは日本の情勢からして不可能である。
⑦日本は連盟を脱退したが、
「今日の世界は国際協調の時代で、孤立は時代の趨勢に反する錯誤である」
⑧日本は時代の変遷を知り、「武力を放棄して文化合作に重点を置き、
侵略を断念して互恵的経済提携に代え、政治上の支配を企図することをやめ、
道義上の感情の上に中国と提携すべき」である。
⑨そして、最後に中国と日本は「共存共亡の民族」であり、
「互いに敵となれば、絶滅の危機に瀕する」ため、
「友好の回復は中日が共に背負うべき時代の使命である」と結論づけた。

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中華民国時期に西南の省に四川省が加わるのは1935年以降である。
四川は1928年の全国統一において、一応国民政府の支配下に入ったが、
中央からの支配の及ばない地方の代表的存在であった。
国民政府内部には同様の地方が多々存在し、
政治的・財政的・軍事的・経済的・文化的に半独立状態を保っていたのである。
ーー中略ーー
蒋介石は中国国民党四期五中全会宣言において、特に「四川省と貴州省」を
共産党勢力から取り戻すことが謳われた。
ーー中略ーー
中でも古くから地方の軍事指導者及び共産党勢力が強く、
国民政府の支配が全く及ばなかった四川の統治は、
蒋介石にとって特別の意味を持っていたと言える。

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1937年5月、蒋介石夫人・宋美齢の強い要請を受けて、
第一次世界大戦時に活躍したアメリカの陸軍航空隊大尉であったシェンノートが、
国民政府航空委員会顧問として中国にやって来る。
ーー中略ーー
蒋介石は空爆計画の実行場所を上海に決定する。
なぜ、上海なのか。
それは、華北では軍事的基盤が弱く、日本には対抗できないが、
上海には勝算があるとの見解を持っていたこと、
また上海には諸外国の共同租界があり、特にアメリカの租界があったため、
上海において日本軍が軍事行動を起こせば、国際的制裁が日本に下り、
中国が有利に和平交渉を行えると判断したため
であった。

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1937年12月15日、蒋介石は「南京退出宣言」を公表する。
ここで、蒋介石は次のことを述べた。
この度の抗戦開始から今まで、わが前線将士の死傷者はすでに30万人に達している。
②中国は持久戦によって、最後の勝利を得なければならないが、
 その最後の決戦は、ただ南京やその他の大都市である必要はなく、
 全国の郷村と広大で強固な民心にあるべきである。
③この度の抗戦は、国民革命の過程中で必ず通るべき道程であり、
 中国は外に向かって独立を要求し、内に向かっては生存を求めるものである。
 抗戦過程中に全民族の束縛を解放し、新国家建設を完成させる必要がある。
④敵人が今回中国を侵略する最大の目的は、わが土地を占領するばかりではなく、
 人民を虐殺し、わが文化を滅亡させ、三民主義と革命精神を消滅することに有る。
 わが革命精神は不滅である。
⑤日本の中国侵略は、実際には世界侵略の開始である。
 中国の抗戦は、民族の生存と独立のためであるが、同時に国際平和と正義のためでもある。
 しかるに、いまだに国際制裁は十分に発揮されていない状態である。

ここで蒋介石が出した「抗戦開始から今まで(盧溝橋事件から南京陥落まで」の
将士の死傷者数「30万人」という数字が、
南京大虐殺30万人説の根拠になっていった可能性は高い。
しかし、この時期「蒋介石日記」に南京の被害の実態に関する記述はまったくない。

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加藤哲郎によると、「19世紀の戦争は、武力と兵士を主体とした「機動戦」「街頭戦」」であり、
「20世紀の戦争は、経済力と国民を動員した「陣地戦」「組織戦」だった。
そして、21世紀の戦争は、メディアと言説を駆使して
グローバルな世界で正当性を競い合う「情報戦」「言説戦」」となる。

日中戦争の大きな特徴の一つは、加藤が主張するこの「情報戦」「言説戦」が
戦場での実際の先頭の背後で熾烈に展開されたことである。
特に、蒋介石はその効果を過信するタイプの指導者であったといえる。
その目的には日中双方の民衆の取り込みとともに、外国の支持の獲得があった。


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