以前、福島第一原発の事故に対する事故報告書について記事を書いた際、
再稼働の是非とは関係なく、次のことは考えなければならない
と思いました。
それは、
このような事故を目の前にして当事者及び私たち国民はどのようにこの事故を活かさねばならないのか
という点です。
原発事故に限らず、また事故の大小を問わず、
私のような社会人であれば、会社でのトラブルは日常茶飯事です。
トラブルが起きるたびに、
「ごめんなさい、もうやりません」
では済まず、
「では、次にどうやってこのようなトラブルを生まないようにするべきなのか」
を考える必要がある。
これは別に原発に限ったことではなく、別のことをやるさいに役立つし、それこそが人類の進歩と言えるからだ
事故が起こった際、一般的には次のようなことを考えなければならないのだろう。
1.なぜ、このような事故が起きたのか(これがなければ起きなかった・・・)
2.これがあったから事故があの程度で済んだ(これがあってよかった・・・)
3.想定以上のことが起きたらどうするのか(不確実性に対する対応)
福島第一原発においては、例えば
1点目であれば電源を地下に置くなど、浸水に対する考慮がなかった、堤防が低く津波を軽視していた、などがあげられます。
2点目であれば、堤防と原子炉の間に干渉となる建物があって、津波の影響を吸収した、などがあげられます。
3点目は、なかなか正確な想像は困難ですが、例えば津波が前回の震災の1.5倍ものものが来たとした場合にどのような対策をとるべきか、というのが挙げられます。
原発の再稼働とは別にこれらのことは「絶対に」考えなければならない。
自分にとって不都合な真実は見なかったことにして「ただ再稼働」「ただ再稼働禁止」では、
あれだけの影響を受けた方々の犠牲はなんのためだったのか、ということになります。
こうしたことを考えることは、原発に限らず、震災対策に良い影響を与えると信じているので、こうした議論は今からでも活発に行うべきだろうと考えます。
活発に議論を行ったり、考えたりした後、再稼働に対して「賛成」「反対」にまわるのはそれは個人の勝手です。
でも、それさえ行わずに妄想を進めて行動を起こすのはかんべんしてほしいと思う。
日本は、中央政府が重要な決断を行うまで時間がかかる、という特質がある。
しかし、国民がそれにあぐらをかいて、その間に何も考えない、というのは間違っていると思う。
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原発事故報告書を眺めて考えること
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