幕末に日本と清を訪問したときのことを綴った本
これは本の裏表紙で、フォーチュンのイラストとして描かれている。
日本と、シナの北部が描かれた地図です。
よく見てみるとわかるが、現在の竹島がある場所には”Matu sima”と書かれていて、
その北西部に”Take sima"と書かれている。
江戸末期までは、現在私たちが竹島と呼ぶ島は松島と呼ばれていて、
竹島と呼ばれていた島は、現在の鬱陵島を指します。
江戸初期は、日本の民が鬱陵島(当時は竹島と呼んでいた)に住み着いたりしていたが、
ここの領有権を江戸幕府は正式に放棄することにしました。
つまり、韓国が言っている漁民「安龍福」による「竹島」についての騒ぎは、この鬱陵島を指します。
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江戸は、日本のほかの町が城壁で囲まれていないのと同様に、城壁で囲まれていない。
しかし、いたるところに多くの深い運河が切り開かれ、その両側に築かれた城壁の上に並木が植えられている。
それは防衛のためというのでなく、しばしば起こる火災の大きな災禍から守るためである。
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