タイトルが衝撃的だ
戦後に183カ国も消滅していたとは・・・(国連加盟国数は195)
著者は、現在、さいたま市議で、旧大宮市がさいたま市のなかで軽視されていることに怒っているようです。
1958年2月22日、エジプトとシリアは合併してアラブ連合共和国になっていたそうです。
1958年2月14日、ヨルダン王国とイラク王国でアラブ連邦を結成
同7月14日、イラクでクーデターが発生し、王政が倒れてイラク共和国となる。
同8月2日、ヨルダンがアラブ連邦の解消を発表
アラブ首長国連邦はその名の通り、多くの首長国が集まったもので、
それぞれは非常に小さい。(アブダビ、ドバイ、など)
1991年8月24日ウクライナがソ連から独立を宣言すると、
92年5月5日、クリミア議会がウクライナから独立を宣言し、
92年9月に独立宣言を取り消す。
94年5月にクリミア議会は再度独立を宣言し、
95年3月17日、ウクライナ政府の支配下に復帰し、クリミア自治共和国となっている。
1958年10月4日、フランスはアフリカ西部のフランスの植民地の国々をまとめて
フランス共同体を設立する。
しかし、1960年11月28日には加盟国はフランスだけとなる。
1995年8月4日、フランス共同体は消滅した。
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ドイツが東西に分断された結果は、米英ソがヤルタ会談に先立って1944年に結んだ協定だ。
この協定で、連合国が戦争に勝った暁には、ドイツを三カ国で分割占領し
(後にフランスを加えて4カ国)、
ドイツの首都だったベルリンは重要な場所なので、これも独自に分割占領することを決めた。
ドイツが降伏すると、米英仏ソはこの協定にもとづいてドイツとベルリンをそれぞれ4カ国で占領したが、この時点ではまだドイツを東西に分断して、2つの国家をつくる予定ではなかった。
同じように国土と首都を4カ国で分割占領されたオーストリアは、55年に1つの国家として独立している。
東西ドイツの分裂が決定的になるのは、47年にアメリカが発表したマーシャル・プランだ。
これは戦争で荒廃した西欧の復興に、アメリカが無償若しくは低金利で融資をするという計画で、
東欧諸国がソ連の政治的支配下に組み込まれようとしていることに対抗して、
西欧諸国をアメリカの経済的支配下に組み込もうとするものだった。
ソ連は猛反発したが、米英仏などは3カ国が占領しているドイツ西部だけで連邦政府を作り、
マーシャル・プランを受け入れさせることを決定し、
それに基づいて48年6月にはドイツ西部だけで通貨改革(ライヒスマルク→西ドイツマルク)を実施。
それに対抗して2日後に、ソ連占領地域も独自の通貨改革(ライヒスマルク→東ドイツマルク)を行ったため、ドイツは2つの通貨圏に分裂した。
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(ベルリンの壁)を超えようとして警備兵に射殺された人は、28年間で192人。
ただしそんな危険を冒さなくても、亡命は可能だった。
西ドイツ政府は東ドイツの政治犯を買い取っていたので、西ドイツ行きの列車にパスポートを持たずに乗車したり、
壁の検問所で「西ドイツに行きたい!亡命したい!」とダダをこねて逮捕されれば、
結果的に政治犯としてホントに西への亡命が可能だった。
63年から89年までに西ドイツは3万3755人の政治犯を買い取り、西へ移して釈放した。
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アラブ諸国がフセイニーに冷淡だったのは、ナチスに庇護されたフセイニーが指導者になれば、
欧米諸国の支持を得られないだろうと判断したため。
そして「ハーシム家によるアラブ統一」に燃えるヨルダンのアブドラ王は、
ヨルダンにイラク、シリア、レバノン、パレスチナを合わせた「大シリア」の統一を画策していて、
パレスチナだけの独立には猛反対したので、アラブ連盟の結束が崩れることを恐れて、
フセイニー支援には消極的にならざるを得なかった。
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アメリカやEU諸国がコソボの独立に否定的だったのは、
コソボが近い将来アルバニアと合併することを恐れたからだ。
そうなると既存国家の国境線の引き直しに繋がる。
ソ連や東欧諸国の崩壊で、数多くの独立国が生まれたが、
それはいずれも連邦体制下での共和国の分離独立であって、
「国境線の引き直し」ではなかった。
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日本人が一番多く住んでいる国は日本だが、
モンゴル人が一番多く住んでいる国はモンゴルかといえば、実は中国。
モンゴルの人口275万人(うち9割がモンゴル人)に対して、中国には581万人のモンゴル人がいる。
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ロシアがクリミアに関心を示すのは、何も「ロシア人が多いから」ではない。
クリミアには地中海に睨みをきかせる黒海艦隊の母港が存在するからだ。
ソ連解体で黒海艦隊はウクライナ海軍とロシア海軍で分割することになったが、
その具体的な条件についてはなかなかまとまらず、交渉が続いていた。
結局、クリミア半島の海軍基地はロシアが20年間使用できることになり(その後2047年までに延長)、
基地使用料や艦隊分割にあたってウクライナから艦船を購入する費用は、
ロシアからウクライナへ供給した天然ガスの債務で帳消しとなった。
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チェチェンはなぜ独立を認められないのか。
ソ連が解体してソ連を構成する15の共和国は独立したが、
チェチェンはロシア共和国内の自治共和国だった。
ロシアは崩壊していないのでロシア内の国は独立を認めるわけにはいかない。
もしチェチェンの独立を認めたら、共和国内の自治共和国や自治州もあちこちで独立を要求し始め、収拾がつかなくなってしまう。
それにチェチェンにはカスピ海沿岸から算出される石油のパイプラインが通っていて、
ロシアにとっては戦略的に重要な場所だった。
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1945年8月15日、日本の敗戦により朝鮮人による建国準備委員会が発足
同9月6日には、朝鮮人民共和国の建国を宣言
同9月11日、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が発足し、朝鮮人民共和国を否定し軍政を開始した。
同10月10日には、軍政庁が改めて朝鮮人民共和国にただちに解散するよう命令している。
驚くことにこの朝鮮人民共和国の初代閣僚は
大統領 李承晩
で、55人選出された人民委員には、金日成が入っている。
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