現安倍政権における官房副長官補、兼 国家安全保障局次長
この本を読んで思ったのだが、リアリストではあるが、必ずしも安倍政権とは考え方が同じではないように思いました。
もしかすると、大学生向けの本として少々手を入れたからなのかもしれませんが
==================
かつて刑法を専門とされる東京大学教授から、制度と現実社会の平仄をぴったりと合わせながら制度を修正していく能力は、米国や英国といったアングロサクソン族の国々において傑出していると聞いたことがある。
そういえば、英国は成文憲法を持たない。
むしろ、そのほうが正しい説明なのかもしれない。
==============
国益とは、日本国最高の利益である。
外交交渉をやっていると、特定の農産物の輸入禁止といった個別利益が国益と唱えられることが多い。
実際、国益とはそのような個別利益の総体と考えることもできる。
しかし、それだけではない。
国でなければ実現できない利益、国でなければ守れない利益もある。
ーー中略ーー
孔子の論語には、政治の要諦として「兵」「食」「信」の三者が出てくる(顔淵篇)。
兵とは物理的な国家の安全である。
恣意的な暴力や恫喝を退けることである。
「食」とは、国民が食べていけることである。
国民が皆、自らの能力を活かして働き、正当な対価を得て子供や老人の面倒を見、
国が富み栄えることである。
「信」とは、自らが倫理的に正しいと信じる国としてのあり方を貫くことである。
=================
この時(シュミット政権)、ドイツからすれば、核の傘をより実効性があるものにしようと思えば、
第1に、米国の核兵器を持込(配備)、
第2に、米国の核兵器配備のみならず使用についても発言権を確保し(ニュークリア・シェアリング)
第3に、欧州戦域の限定核戦争が必ず米ソの全面核戦争に発展するように、緻密な「核の階段」を組み上げるしかない。
特に、第3点は、米国のコミットメントのレベルを、ドイツが核攻撃されれば必ず大量報復を行わざるを得ないというところにまで常時上げさせておく、ということである。
核戦争を戦域に押し込もうとする米国に対し、ドイツはまさに米国を引き込み、
米国にしがみつき、「死なばもろとも」というレベルにまで米国のコミットメントを確保しようとしたのである。
ここまで
この第3点は重要だと思う。
特に現在の尻込みしがちな米国を引きずりこませる方法を考えないといけない。
日本からの基地撤退など現状では論外であり、活用せざるをえない現状では、逆にがっちりと抜けさせないようにしなければならないだろう。
==============
(アメリカ)入植したばかりの頃の、厳しい宗教社会がかいま見える。
中には、モーゼの十戒をそのまま法として定め、違反者は死刑というような極端な刑法もあったという。
============
日本は、いつまで経っても自分のことしか考えないようではダメである。
自らの安全を他人に任せ、そのおかげで独り平和に暮らし、少々金持ち国となったからといって、
それが他の国の人々にとって一体何だというのだろう。
それだけでは、「米国と対等」などと言って胸を張れるはずがないのである。
米国に助言したいと言っても、米国が聞く耳を持つはずがない。
例えば、自分のことにしか関心のない男が、少々金持ちになって、友人面をして目の前に現れたとしよう。
読者は、したり顔の彼の助言をありがたく受け取るだろうか。
そうではないであろう。
国も同じなのである。
=================
すべての人間社会に通底する素朴な倫理の共通要素として、次のようなものを取り上げたのを覚えているだろうか。
「社会あるところ法あり」(法の支配)
「人間を愛しいと思う気持ち」(人間の尊厳)
「リーダーシップは、統率される者の生存と幸福のためにある」(民主主義)
「国家間の恣意的な暴力は許されない」(平和と正戦論)
「働く者は、自由な交換を通じて報酬を得ることによって正しく報われる」(勤労倫理と市場経済原理)
↧
戦略外交原論 兼原信克
↧