「侍従長の回想」 藤田尚徳 より
陛下は単刀直入に、戦争責任論を口になさった。
「申すまでもないが、戦争はしてはならないものだ。
今度の戦争についても、どうかして戦争を避けようとして、
私はおよそ考えられるだけは考え尽くした。
打てる手はことごとく打ってみた。
しかし、私の力の及ぶ限りのあらゆる努力も、ついに効を見ず、戦争に突入してしまったことは、実に残念なことであった。
ところで戦争に関して、この頃一般で申すそうだが、この戦争は私が止めさせたので終わった。
それが出来たくらいなら、なぜ開戦前に戦争を阻止しなかったのかという議論であるが、
なるほどこの疑問には一応の筋は立っているようにみえる。
如何にも尤もと聞こえる。
しかし、それはそうは出来なかった。
申すまでもないが、我が国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。
またこの憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。
この憲法上明記してある国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙(ようかい)し干渉し、これを掣肘(せいちゅう)することは許されない。
だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、
ある方策を立て、これを規定に従って提出して裁可を請われた場合には、
私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。
もしそうせずに、私がその時の心持ち次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、
その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持ちによって何となるかわからないことになり、
責任者として国政につき責任を取ることが出来なくなる。
これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。
専制政治国ならばいざしらず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない」
ーー中略ーー
「だが、戦争をやめた時のことは、開戦の時と事情が異なっている。
あの時には終戦か、戦争継続か、両論に分かれて対立し、議論が果てしもないので、
鈴木が最高戦争指導会議で、どちらに決すべきかと私に聞いた。
ここに私は、誰の責任にも触れず、権限をも侵さないで、
自由に私の意見を述べうる機会を、初めて与えられたのだ。
だから、私はかねて考えていた所信を述べて、戦争をやめさせたのである。
ポツダム宣言の諾否について、両論対立して、
いくら論議しても、ついに一本にまとまる見込みはない。
しかも熾烈な爆撃、あまつさえ原子爆弾も受けて、惨禍は急激に増える。
この場合に私が裁決しなければ、事の結末はつかない。
それで私は、この上戦争を継続することの無理と、
無理な戦争を強行することは皇国の滅亡を招くとの見地から、
胸の張り裂ける思いをしつつも、裁断を下した。
これで戦争は終わった。
しかし、このことは、私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ、
このことが出来たのだと思っている」
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昭和天皇の戦争責任論に関する言及
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