Quantcast
Channel: 読書は心の栄養
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1745

アジア親日の履歴書 丸山ゴンザレス

$
0
0

クレイジージャーニーという深夜番組でこの著者のドキュメンタリーを見て、
興味が出て借りてきた本
番組自体は、ルーマニアのマンホール下に住んでる人たちについてで、
この本とは全く関係ない。

==================

2013年公開の映画「アクト・オブ・キリング」は、北スマトラ州の州都メダンで虐殺に加担し
「英雄」とされたブレマンをクローズアップした作品として各国で話題になっている。
この虐殺を契機に、スハルトは圧力をかけてスカルノを辞任へと追い込み、
2代目大統領に就任、デヴィ夫人は国外逃亡を余儀なくされたのである。
そしてスハルトは以後30年にわたって独裁政治を続けることになった。

ここまで
この映画見てみたい

============

日本は1964年から海外旅行が自由化したことが追い風となった。
(今では信じられないが海外旅行が認められていない時代があったのだ)

=============

エアアジアは、2006年に経営危機に陥ったマレーシア航空を再建するために移管された国内ローカル路線を運用するフライ・アジアン・エクスプレスがベースになっている

ここまで
このまえ事故を起こしていたマレーシア航空の関連会社ということなのだろうか

==============

ブータン

日本との交流は、2つの軸で展開されてきた。

ひとつはブータン農業の父と言われる植物学者西岡京治のような民間人技術者や学者によるところが大きい。
ブータン農業の発展に貢献した西岡の遺志は現在も受け継がれている。
島根県西部に三隅町(2005年浜田市に合併)という人口9000人ほどの小さな町がある。
この町の産業は手すき和紙。
石州和紙と呼ばれ、重要無形文化財や、通商産業大臣指定の「伝統的工芸品」にも指定されている名品だ。
この伝統技術に着目したのがブータンだった。
ブータンにも古くから紙すき技術はあったのだが、品質はあまり良いものではなかった。
だが、ブータンでは国が林業を管轄しているため、豊富な製紙原料がある。
資源の有効活用を実現するために、三隅町に技術協力を要請したのだ。
1986年、初めての技術研修生が3人来日した。
ーー中略ーー
もうひとつの交流の軸は皇室との交流である。
1989年、昭和天皇崩御に際して挙行された大喪の礼には世界中から国家元首や要人が日本に訪れた。

==================



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1745

Trending Articles