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山鹿素行「中朝事実」を読む 荒井桂

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山鹿素行の代表作、中朝事実の現代語訳

大意としては、日本人が古代の書物から描く中国の像は日本にこそある、という趣旨の本
日本人は古来から中国にあるしゅの幻想であったりあこがれを抱きます。
江戸時代は、朱子学が流行った(というか幕府推奨の学問)ということもあり、
支那地方に憧れを持つ人も多かったわけで、
それに対して山鹿素行は日本書紀などを紐解き、日本こそが支那への憧れのポイントが存在し、日本こそが「中華」と呼ばれるべきものである、と主張している。

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外朝支那は、我が国を通せずして文物が明らかだったのに、
我が国は、外朝を通じて初めてその文物の用を広くしたとすれば、
外朝は我が国よりも優れているのかという疑念がわく。
私が考えてみるに、決してそうではない。
我が国は、開闢以来、神聖の徳行も明教も、兼備しており、
外朝の漢籍など知らなかったとしても、少しも不足することはなかった。

たまたま幸にして外朝の事物に通じ、その長所を受容して、皇統の王化を補足したのは、
また何と寛容なことではなかろうか。
それは外朝だけに限らない。
広く天下全般にわたって、詳細に知り蓄積して、それぞれの短所と長所を比較考量して、
その効用あるところは、すべて活用し、事態に適応したのは、度量が大きく、包容力に富むということである。

いったい人も物も、内外補完して完成するものである。
内の短所を守るために、外の長所を受容しない頑なな姿勢は、君子の為すところではない。
ましてや、外朝と我が国ともにその求めるところを一にして、永い歴史を閲(けみ)し、
それぞれの領域も広大であり、人も物も大量であって、互いの政事に貢献しあっているなど、
共に見るに足る実績があることを考えれば、尚更のことである。
これこそ中州たる我が国が、世界に冠たる所以である。
後世、勘合符貿易が絶えて、善隣、修好がないときでも、我が国に何ら不足を生じなかったことなど、併せて考慮すべきである。




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