「東條英機 天皇を守り通した男」 福冨健一 より
よもの海みなはらからと思ふ世に
など波風のたちさわぐらむ
9月6日の御前会議で陛下が、明治天皇のこの御製を詠んだ時、東條は
「聖慮は平和にあらせられる」
と確信した。
東條はさらに東郷神社、靖国神社を参拝し、大臣室に戻った。
ーー中略ーー
「本日より陸軍だけの代表者にあらざる。
もって公正妥当な人選をしなければならぬ」
こうして、東條は陸軍大臣と内務大臣を兼任した。
また、このようにも続けている。
「御諚の実行にあたり、このまま戦争をせず米国の申し出に屈した場合、二・二六事件以上の暴動が起こるやも知れず、その際、断固涙をふるってこれを弾圧する必要がある」
東條は、天皇のご意思に沿うため、アメリカの要求に屈することも念頭に置いていた。
しかし、その際は二・二六事件以上の暴発が予想される。
これを抑えるには、軍と警察権の行使に踏み切らざるを得ない。
そのために陸相と内相を兼任したのである。
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東條英機が陸軍大臣と内務大臣を兼任した背景
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