シベリアからの手紙 山本幡男の遺書
君たちに会えずに死ぬることが一番悲しい。
成長した姿が、写真ではなく、実際に一目見たかった。
お母さんよりも、モジミよりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。
それも幼かった日の姿で・・・ああ何という可愛い子供の時代!
君たちを幸福にするために、一日も早く帰国したいと思っていたが、
到頭永久に別れねばならなくなったことは、何と言っても残念だ。
第一、君たちに対してまことに済まないと思う。
さて、君たちは、これから人生の荒波と闘って生きてゆくのだが、
君たちはどんな辛い日があろうとも光輝ある日本民族の一人として
生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。
日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化の融合する唯一の媒介者、
東洋の優れたる道義の文化ーー人道主義を以って
世界文化再建に寄与しうる唯一の民族である。
この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。
また君たちはどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し
人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。
偏頗(かたよって不公平なこと)で矯激(普通ではなく激しいこと)な思想に迷ってはならぬ。
どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んでくれ。
最後にかつものは道義であり、誠であり、まごころである。
友達と交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、
この言葉を忘れてはならぬぞ
人の世話には努めてならず、人に対する世話は進んでせよ。
但し、無意味な虚栄はよせ。
人間は結局自分一人の他に頼るべきものがない、という覚悟で、
強い能力のある人間になれ。
自分を鍛えて行け!
精神も肉体も鍛えて健康にすることだ。
強くなれ。
自覺ある立派な人間になれ。
ここまで
この文章は昭和29年7月2日、旧ソビエト連邦のハバロフスク収容所で45歳で亡くなった
陸軍一等兵山本幡男の遺書です。
山本は、現在の東京外国語大学でロシア語を学び、第二次世界大戦当時、
ロシア語の通訳として働きました。
しかし終戦後、旧ソ連軍に捕らえられシベリヤに抑留されました。
山本は、収容所で句会を開くなど同胞に生きる希望を与え続けていましたが、
祖国への帰国を果たすことなく亡くなりました。
山本の遺書は、「本文」「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」の四通で
4500文字に及ぶものでした。
遺書は、彼の7名の友人たちによって、ソ連の厳しい検問の中、ある者は暗記し、
ある者は書き写したノートを股下に隠し、命がけで故郷に持ち帰られました。
そして、生還した彼らの手によって日本の妻子に届けられたのです。
「13歳からの道徳教科書」より
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シベリアからの手紙 山本幡男の遺書
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