この本はPHP文庫でページ数もそれほどないのだが、私の知らなかったことが多く入っていてとても面白い。
特に共著者の林思雲さんの中国側の視点も面白い。
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2006年8月13日に放映された「NHKスペシャル」日中戦争ーなぜ戦争は拡大したのかーは、
戦争拡大の原因を日本の主戦派の責任に帰結させている。
まるで中国側には、何の関係もなかったかのようである。
このように、自ら進んで戦争責任を負おうとするのは好意なのかも知れない。
しかし中国人から見ると、このように片方だけに戦争責任を求める論法には傲慢さが含まれている。
すなわち、日本を日中戦争の主導者と見なし、日本が戦争を拡大しようと思えば拡大でき、
拡大させまいと思えば拡大させぬことが出来たのであり、
戦争の方向は日本の意志でコントロールできたというものであるが、
自発的に進んで戦おうとした中国人の意志が軽視されている。
このような見方は、当時の実情に符合しない。
実際には当時の日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。
中国側において自発的に日本と戦おうとする意志が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう。
事実として、日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。
そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである
(この日、蒋介石は上海に駐屯していた5千人あまりの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)
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ドイツは日中戦争勃発以前から、共産党軍への攻撃を立案したフォン=ゼークト将軍に代表される数多くの軍事顧問を、国民政府に送り込んでいた。
ーー中略ーー
国民政府は1930年代の前半から、国内統一用の軍事力として、また予想される日本との衝突に備えて、
軍備の刷新を目的とするドイツとの親密な関係を築き上げていた。
その結果、ドイツ軍事顧問団の指導による軍事改革の模範として、
ドイツ製の武器で装備された蒋介石直属の国民革命軍第八十七師、第八十八師、第三十六師が、「教導総隊」として設置されていた。
そして上海から軟禁までの揚子江下流地域には、ドイツ式の防衛陣地に立てこもる部隊であり、
作戦はドイツ人軍事顧問が指導した。
上海の攻防戦には74名のドイツ人軍事顧問が参加したという。
ところで、ドイツ側が軍事援助の見返りとして中国に望んでいたのは、タングステンなどの希少金属の提供であった。
タングステンは比重が大きく硬度の高い金属であり、砲弾などの生産には不可欠であり、
さらにドリルなどの工作機械の刃に欠かせない金属である。
中国は現在でも世界の産出高の8割以上を誇るが、ドイツでは全く産出されなかった。
中国とドイツは互いに支え合い、両者の利害は一致したのである。
国民政府が提供したタングステンがドイツの軍需産業を支えたのであり、これにより生み出された軍事力がヨーロッパでのドイツの勢力拡大を可能にしたのである。
中立国のスウェーデンも、第二次大戦中を通じて、中立維持の見返りとして良質の鉄鉱石をドイツに輸出し続けていた。
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最近、何人かの人々がインターネット上で、日中戦争中に大量に発生した壮丁の非正常死について議論を始めている。
ある人物は、徴兵の途中で死亡した壮丁の数は数百万人以上に達し、
戦場で死亡した兵士の数を大幅に上回ると計算している。
理由は以下の通りである。
1.日中戦争中の8年間に徴用された壮丁の総人数は、約1405万人である
2.日中戦争中の国民党軍の戦死者は133万人、失踪者13万人、病死42万人、逃亡32万人。このほか50万人が日本軍に投降し、偽軍(日本の傀儡政権の軍隊。特に汪兆銘政権の軍隊をいう)に編入された。
3.戦争開始時の国民党軍の人数は252万人
4.戦争終結時の国民党軍の人数は422万人
ーー中略ーー
この965万人は、おそらくは徴兵の途中で死亡したのである。
このような簡単な計算方法に問題はあるにしても、概ね数百万人の壮丁が徴兵の途中で死んだことは、信じられる。
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