川崎製鉄の創業者、西山弥太郎の伝記
百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」は出光の創業者出光佐三のお話だが、それに比べると数段落ちる。
特に読んでて感情の起伏は生まれなかった。
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昭和27年11月から12月にかけて、川崎製鉄の8つの労働組合は
上部団体である鉄鋼労連を脱退した。
それまで中立だった鉄鋼労連が急速に反米と左傾化を強めていた総評
(日本労働組合総評議会)に加盟したことが原因だった。
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毎日新聞に連載され、先月、本にまとめられた「白い手黄色い手」という一連の記事のことであった。
戦後、日本国の財産が白い手(欧米人)や黄色い手(華僑、朝鮮人など)
によって収奪されているとする内容で、
華僑商人や朝鮮人が食糧や禁制品の横流し、密輸などで莫大な利益を上げ、
米国の玩具メーカーが、融資、大量発注、閑散期の発注を餌に、日本の中小工場を搾取し、
コカ・コーラ社やウェスチングハウス社(原発輸出)が
日本の政界を抱き込んで日本進出を目論み、
欧米の石油会社やアルミ外車が資源供給や融資を梃子に
日本の会社の株式を握ったり、不当な儲けを上げ、
米国のレコード会社やラジオ会社が、彼らに有利な米国の特許法に基づいて、
日本の電機メーカーや音楽会社から莫大な技術使用料、音楽の原版購入料、
版権使用料などを取っている等と批判していた。
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安保条約改定問題は、日本を揺さぶり続けた。
強行採決後、連日のようにデモが行われ、竹内好東京都立大学教授と
鶴見俊輔東工大助教授が強行採決に講義して辞任。
社会党代議士会は、衆議院議員総辞職の方針を決定し、
全議員が浅沼稲次郎委員長に辞表を預けた。
6月4日には、560万人が参加して交通機関の早朝ストライキが行われた。
同10日には、米国大統領として戦後初めて日本を訪問する予定のアイゼンハワー大統領
の秘書ハガチーが打ち合わせのために来日したが、
羽田空港で労組と全学連のデモ隊に包囲され、米軍ヘリコプターで脱出した。
6月15日、全国で580万人が参加してデモが行われた。
永田町の国会では、夕方、全学連が南通用門突入を図って警官隊と衝突し、
東大生の樺美智子が圧死。
未明にかけて、警官隊が学生に催涙弾を発射し、学生のみならず、
大学教授団、報道関係者、通行人も暴行を受け、500人以上が負傷し、182人が逮捕された。
6月19日、衆議院で強行採決された新安保条約が、参議院の議決を経ずに自然成立。
その後も大規模なデモが止むことなく、ついに岸信介総理大臣は、
新安保条約が発効した6月23日に「人心一新、政局転換のため」辞意を表明。
ここまで
これに比べると、昨今のデモは規模が小さいですね
20万人とかで大慌てですから
安保改定、学生運動が表立った左翼の活動のピークですね
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鉄のあけぼの 黒木亮
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