前回の続き
1979年10月、政治家や財界人向けの会員制雑誌「じゅんかん 世界と日本」
の253・254合併号に、「新・憂うべき教科書の問題」と題する文章が掲載された。
執筆者は石井一朝という人で、
1955年の「うれうべき教科書の問題」の内容の提供者であるとされている人物だった。
(中略)
「それ(うれうべき教科書の問題)の発行からほぼ二十年、この”事件”に懲りた文部省は、
大いに教科書の検定を厳しくしたはずなのに、今回私が調べたところ、
事態はなんと振り出しに戻った感じだった。
(中略)事態の根本原因は、やはり日教組、共産党などと手を結んだ
教科書執筆者の休みのない党派的努力にあるのではないか。」
ーー中略ーー
ロシア民話の「おおきなかぶ」は、訳者が
「はたらく人間、生産者としてのイデオロギーを明確にしなければならない」
といっており、「共産主義的団結」を教える作品である、というような批判である。
ーー中略ーー
筑波大学学長福田信之監修、森本真章・滝原俊彦共著
「疑問だらけの中学教科書」(ライフ社)が発行された。
4月から使用される7社の中学校公民教科書を批判したものだった。
取り上げた論点は47項目にわたっているが、主要な問題点は、
家族関係の軽視、
愛国心の記述の欠落、
安保・防衛問題などでの記述の偏り、
権利と義務の記述の間のバランスの欠如、などであった。
経済については、資本主義よりも社会主義のほうが優れている
という印象をあたえるような書き方をしているとして、次のように書いている。
「資本主義の国々に見られるような資本家(大株主)や地主はいません」。
そういわれると、「その代わり、共産党というもっと素晴らしい新しい階級があります」
と皮肉の一つも言いたくなるというもの。
今日、百年も昔のマルクスによる経済概念や用語を使って、
経済の仕組みを説明しようとすること自体、再検討されねばならないのである。
「教科書採択の真相 かくして歴史は歪められる」 藤岡信勝 より
マルクス経済学が根強く残っている背景にはこうした歴史があったということなのだろうか
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教科書検定の歴史 新・憂うべき教科書の問題
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