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岸信介の回想 岸信介 矢次一夫 伊藤隆

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岸信介の回想 (1981年)/文藝春秋
¥1,890
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岸信介は日本の元総理で、現在の安倍晋三首相の祖父にあたります。
戦前から、官僚として満洲の経済設計を担当したりしたわけですが、
やはり岸信介さんの功績は、日米安保条約の改正です。
これまでの不平等条約のいくつかを解消したことは大きな前進でありました。

岸信介の父親は佐藤秀助の次男として生まれるが、
佐藤秀助自身は、岸家から養子に入っており、
岸信介自身も佐藤秀助の実父である岸家の実家の養子となりました。
岸信介氏の曽祖父は佐藤信寛といい、
幕末時代に吉田松陰らの志士たちとの交友がある。


岸信介氏の叔父である佐藤松介の夫人の兄は松岡洋右であり、
麻生太郎氏の祖父、吉田茂とも遠い姻戚関係にあります。

そう、安倍晋三首相は、麻生太郎元首相同様、明治維新の頃から続く政治家一族です。

この本は、岸信介氏を含めた三人の対談形式となっています。
岸信介さんの人生を振り返る形で当時の社会情勢を知るいい本です。

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伊藤
岸さんは、明治憲法下の天皇、それから新憲法下の天皇にもお会いになっていらっしゃるわけですけれど、戦前と戦後と比べての印象はいかがですか。


これは陛下御自身の与えられた印象というよりも、こちらの頭が変わっているんじゃないかと思う。
だから、陛下のご態度としては、特別に変わりがないように思いますね。
ただ、明治憲法時代と新憲法のもとでは主権者と象徴という違いなんだけれども、
明治憲法下時代も、立憲君主国として内閣制度があり、それぞれの責任者がちゃんと処理している。
参謀本部や軍令部あたりでも決めている。
それはもちろん形式的に陛下のご裁可を得るのだけれども、陛下のほんとうの意味のご裁断は明治憲法下にもなかったと思うんですよ。

陛下のお考えがなにか変わったと言うんではなく、こちらの頭が変わっただけで、
実際は私は陛下のご態度を見ていると、もう本当に澄み切ったお考えで、われわれみたいなものと違います。

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東條英機首相が岸さんに、軍需次官とともに、国務大臣を兼任するよう要請した際に語った言葉

軍需省には軍人をたくさん回すし、軍人というのは自分もそうだが、
星の数で言うことを聞いたり、きかなかったりするものだ。
若い頃からそうやって育てられてきた人間だ。
次官といえば星2つの中将格だけれど、大臣は星3つの大将だから、
陸海軍からやってくる中将以下は皆お前の言うことを聞く。
だから俺の留守を取り締る君を国務大臣にするのだと。


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昭和26年に、戦中からの岸派というべき旧民政党系を中心とした政治家が追放解除となり、
「新日本政治経済研究会」を結成した。
翌27年に4月15日頃、岸信介氏の追放解除が内定し、
文化団体「日本再建連盟」に改組された。

三好英之を理事長としたこの連盟には、岸氏の他、
重光葵、石黒忠篤、渋沢敬三、藤山愛一郎、正力松太郎、清瀬一郎
などそうそうたるメンバーが顧問に名を連ねた。

五大政策は
1.新しい時代感覚を基準として国民に訴えるようなものを打ち出す。
2.共産主義の侵略を排除し、自主外交を堅持して平和国家の建設を期する。
3.日米経済の提携を深め、アジア諸国の通商を密にして、農業経済の興隆を期す。
4.農山漁村の振興と中小企業の育成、勤労大衆の福利増進を図り、民生の安定を期する。
5.国民の総意に基づき、憲法を改正し、独立国家としての体制を整備する。

であった。

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岸信介首相が首相時代にカンボジアを訪問した時のこと
岸氏は当時のカンボジアの国王であるスラマリット氏に拝謁する。


われわれが拝謁した時、横には皇后もいたんだけれど、
日本民族は優秀な民族である、カンボジアの人間は日本人のように勤勉で、勇気をもたねばならん、それにはどうしても日本人の血をカンボジアに入れたい。
戦時中は日本軍の軍紀が極めて厳しかったせいか、いっこう日本人の血がここに残らなかった(笑)。
だから今度改めて、土地を提供するから、日本人に移民してもらいたい。
ただ細君を連れたのではダメで、独り身でないといけない、と王様が言ったんだ(笑)。

ここまで
結局独り身でなければならないといったこともあって話を進めることはできなかった。

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デモというような集団的な行動で、法の制限を無視しながら、正当であるかのような形の暴力が横行していて、関係のない市民生活が脅かされていた。
しかもしれを憲法の名のもとにやるという事態が多かったから、そういう意味の暴力追放ということを言ったわけです。

伊藤
具体的な法的措置はどういうふうにお考えでしたか。


要するに警官が正当な取り締まり行動をしようとしても警職法(警察官職務執行法)の関係で、実際上何も出来ない。
それが暴力をはびこらせる原因の一つになっていたわけですから、警職法の改正を考えた。
私としてはやり得なかったんですがね。

ここまで
もしこの頃に警職法の改正が行えていたら、現在の沖縄の左翼運動などは取り締ることができたのかもしれません。




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