昭和と平成の教科書の違いから歴史解釈が科学的に検証されどう変わってきたか
という本
この絵は私が子供の頃は、源頼朝の肖像だと習ったが、
近年では足利尊氏の弟、直義だとする説がでてきたため、教科書から削除されているという。
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近年の教科書では「元寇」という言葉を使わなくなってきているようだ。
それはこの言葉が幕末に使われ始めたためで、
現在は「後世になって元寇とよばれた」という書き方に変わってきている。
当時は戦国時代の笑話集である「醒睡笑」に載っている記述によると、
「むくり・こくり」と読んでいる
むくり=蒙古、こくり=高句麗
今の多くの日本人すら当時の元からの軍隊の多くが高麗の人であることを知らないが
戦国時代の人でもきちんと知っていたということでしょう。
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これも子供の頃は足利尊氏の肖像として習ったが、
この起源は江戸時代の寛政の改革という名前の悪政を行った松平定信に由来する。
これには種々の矛盾点があり、息子の義詮の肖像であると考えられていたり、
今では高師直の息子、師詮の肖像ではないか、とも考えられている。
これも現在は教科書から外されているようです
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当時のキリシタン宣教師たちの本国への通信に、
「彼ら(日本人)は闘うときには馬から降りる。
我々は闘う時には馬に乗る」
と書かれているように、戦国武士達は馬とは移動手段と考えていた。
これから、武田の騎馬隊とはなかったのではないか、と言われている。
また、長篠の戦いにおける信長による鉄砲の三段撃ちも存在しなかったであろうと考えれれている。
なぜなら、信長側近の太田牛一の「信長公記」という第一級史料にそのような記述がないからだ。
さらに、桶狭間の戦いの奇襲についても記載がないことから、これも存在しなかったと考えれている。
これらの「ウソ」は江戸時代にこの「信長公記」をモチーフにフィクションを盛り込んだ
儒学者・小瀬甫庵のベストセラー小説「甫庵信長記」に由来する。
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江戸時代の慶安のお触書も存在が疑問視されているので、最近の教科書では疑問視されている旨が記載されているという。
幕末の農村法令という禁令には
「庶民は刃渡り2尺以上の刀を差すな」
という法令があり、取り締まらなければ庶民が刀を差していたということを裏付ける。
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銀座とは江戸時代に銀を鋳造する地として設けられたもので、
一番最初の銀座は京都の伏見にあった。
それ以外にも大阪・長崎などにあったという。
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徴兵令
服役年限は常備軍3年、第一後尾軍、第二後尾軍はそれぞれ2年ずつでしかない。
ただし、国民軍は17歳から40歳までである。
第一後尾軍の2年間は年に一回の招集訓練に参加する義務があった。
国民軍は非常時の地域警備をする要因に当てるための制度であり、
実際には歴史上、一度も招集されたことはなかった。
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吉田嘉七 作の詩
「ぼくら子供は」
銀行が倒産し
市電はストでよく止まった
工場地帯では赤旗が立っていた
ルンペンがゴミ箱を漁り
公園のベンチで一日寝ている人も増えた
月給が下がったと言う
物が売れないのだと言う
農村は例外で作物がとれないのだと言う
弁当を持ってこれない友達もいた
大人たちの暗い表情が
暗い街に溢れた
満洲で戦争が始まったのは
ぼくが中学一年の時だ
物がぽつぽつ上がりだし
景気が良くなってきたらしい
「戦争が始まって良かったね」
大人たちのつぶやきは
子供の僕らの耳にも入った
やがて戦争で殺されるぼくらの
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あなたの習った日本史はもう古い! 荒木肇
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