これは、ペリーの日米和親条約と、その後の日米通商航海条約の間に
日本に来たアメリカのグレタ号に乗っていたリュードルフの本のようです。
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日本人は感受性がするどく、利口で器用で少しでも軽蔑するようなことがあれば
敏感に反応する。
大体、日本人の感情は繊細で、血を見るような荒々しいことには背を向ける。
日本人は、自由な意思で約束し、善意をもって約束する。
そして約束したことは、良心的にこれを守りかつ実行する。
一方、脅迫や圧迫は、たとえ一時その結果が有望に見えても、
決して永続的効果、満足すべき効果を見ることができない。
その意味においてスターリング(日英和親条約)によって、長崎で行われたことは、
永続性と価値の点において、アメリカ人により江戸で行われた効果を、
しのぐであろうことは、予想にかたくない。
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支払いはメキシコ銀または金貨でしてもらいたい、と頼まれた。
ただし、金貨は日本の相場で受け取る。
アメリカの5ドル金貨は、2ドル50セントの値である、と念を押された。
ここで、ペリー司令官が、やりそこなったことについて、述べなければならぬ。
司令官は、アメリカ・ドルを千六百文に換算するよう、日本人と協定した。
中国の相場に比べると、この換算はそれほど割のいい相場と考えてのことであろう。
しかし、もっと徹底的に調べ、このような早まった協定を結ばなかったら、
日本の一両は、日本では千六百文であるが、アメリカ・ドルの3分の1しか値打ちがない。
そこで、アメリカ・ドルは千六百文の三倍すなわち四千八百文でなければならないことを、
司令官は発見したに相違ない。
協定した値段の千六百文は、実際の値段の3分の1にすぎないので、
そのことから、次の結果が生ずる。
日本の貨物を買うと、すべてが三倍高く支払うことになる。
(略)商売はまったく不可能になる。
どうしても物々交換に頼らなければならなくなる。
しかもすでに述べたように、日本の政府は、この物々交換を拒んでいる。
要するに、ペリー司令官の早まったこの措置は、予想外の結果を生み、
締結した条約の利益の大半をそのために失ってしまったのである。
ここまで
ここらへんが日米通商航海条約が結ばれる理由の一つだったのだろうか、と思いました。
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今日はじめて楕円形の日本の金貨を見た。(小判のこと?)
縦長がおよそ四分の五インチ、縦は四分の三インチあって、
ちょうど薄手の厚紙表紙ほどの厚みであった。
この金貨は目方からしてわれわれのほぼ六ドルぐらいの値打ちが会った。
しかし、日本においては、たった四ドル、すなわちメキシコ・ドルで一ドル3分の1である。
そこで、金の値の比は、こことヨーロッパとでは四対十八である。
あらゆる努力を払って見たが、この金貨を入手することはできなかった。
人が言う所では、外人に日本の金を与えることは、終身禁錮の刑をもって禁止されている、
ということだ。
ここまで
この辺りの情報から、幕末に大量の金が海外に持っていかれたのだろうか?
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日本人は知的で、勤勉な国民であり、外国から役に立つことを学ぶことを知っており、
また北米人との折衝で見せたように、優れた外交官である。
彼らは、自国以外の世界の情勢を知らない。
それで彼らは、知識を増やすために世界情勢を好んで聞きたがる。
ーー中略ーー
名誉に関する彼らの考えは、よく狂信となる。
それは驕慢で、復讐心が強く、常軌を逸している。
ホラ吹き、喧嘩好き、中傷者を、彼らは最大限に軽蔑していることから分かるように、
真実をほんの少しでも害する行為は、厳罰に処せられる。
彼らは官憲に訊問されない限り、裏表がなく、人に親切であり、
友としては死ぬまで忠実である。
日本人はいろいろな危険があっても、友のために尽くすし、
どんな苦痛にも耐え、友の信頼を裏切ることは決してしない。
そして保護を求めてきた外国人さえも、日本人は最後の血の一滴がなくなるまで、守るのである。
彼らは彼ら同士や外国人とつきあうときは、大変礼儀正しい。
彼らの礼儀作法は、格言通りになされている。
本来の日本の国民性も参照ください。
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グレタ号日本通商記
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