![]() 【送料無料選択可!】語り継ぎたい美しい日本人の物語 (単行本・ムック) / 占部 賢志 著 |
文字も大きいし、小中学生向けなのだろうか。
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白村江の戦いで日本は敗北しました。
日本人の中には唐の捕虜になったものもいた。
そのうちの大伴部博麻の話
博麻の周辺にはほかに四人の日本人捕虜がいたようです。
彼等五人は長安で捕虜としての生活を送っていたのですが、
あるとき、聞き捨てならない話を小耳にはさみました。
それは、唐が日本攻撃の準備をしているとの情報でした。
我が国は敗北したばかりでしたから、チャンスと見て日本征服を計画したに違いありません。
博麻たち五人は、これはたいへんだ、なんとかして祖国に知らせなければと焦りますが、
捕虜のみではなす術はありません。
万事休すと思われた時でした。
博麻が奇想天外な計画を思いつくのです。
それは、自分の身を奴隷に売って、それで得た金銭で四人の仲間を脱出させようとするものでした。
結果、四人いっしょに帰還することは難しかったものの、このプランは成功します。
日本書紀には、一人を除いて、それと思われる帰国者の名前が記録されています。
記事から推測して、仲間の四人はおそらく早くて664年、遅くとも671年ぐらいまでには帰国した模様です。
こうした博麻の着想には驚かざるを得ません。
ひとえに、祖国の危機を救おうとする必死の思いから生み出された捨て身の知恵だったといってよいでしょう。
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作家・星新一の父、星一は製薬事業を創業します。
発展の画期となったのはモルヒネの製造でした。
激痛を和らげるために、手術では必需品でした。
当時は欧米からの輸入に頼るしかなかったが、星は国産化に挑戦する。
問題はモルヒネの原料であるアヘンをいかにして入手するかでした。
アヘンは政府の専売品だったため、国産品を製造するには、
国際相場の三、四倍も高い払い下げ価格で購入するより手はなかったのです。
ーー中略ーー
そこで星が思いついたのが、後藤(後藤新平)が台湾で進めていたアヘン漸禁政策でした。
この政策が功を奏して、はじめ19万人もいたアヘン常用者が大正二年(1913年)には
8万人にまで減少していました。
ただ、この8万人に対しては、いまだ専売局でアヘンを管理提供していたのです。
星はこの一部を安価で払い下げて貰うべく交渉し、後藤の仲介もあり、許可を得ることに成功します。
こうして、わが国初のモルヒネ製造は軌道に乗り、星製薬は飛躍的な発展を遂げたのです。