![]() 【送料無料】名著で読む世界史 [ 渡部昇一 ] |
渡部昇一さんが、名著を解説する本
渡部さんが思う世界史に影響する名著に、
ヘロドトスの歴史はまだわかるが、
トゥキュディデスの歴史はなぜリストに入っているのかわからなかったので借りてみた。
ようは、ヘロドトスの場合は、自分が主に伝承で聞いたものを記したのに対し、
トゥキュディデスは、今起きていることを自分が体験したことを通じて記している。
そうした対比を描きたかったのだそうだ。
=============
ドーソン「ヨーロッパの形成」
ドーソンは、このように西ヨーロッパの文化が大きな力を持つようになったのは、
キリスト教徒北欧の武士的な精神が一致したからであるというのである。
それがなければ文化としての力が生じることはなく、
さらにキリスト教が加わらなかったら、文化を教え広げる力は生まれなかったというのです。
これが、ドーソンの基本的な考えで、
文化を本当にダイナミックにするのは宗教である、ということを縷縷述べているのです。
============
マキャベリ 「君主論」
名君というものは、信義、約束、そんなものは守らなくてもいい、
そんなものはいい繕えばよいというようなことを書きました。
みんな漠然とは感じていても、たまたま悪い奴がそうだった
というような受け取り方をそれまではされていたのでしょうけれども、
それが君主の本質であるということを書いたわけです。
===========
渡部昇一 「ドイツ参謀本部」
ナポレオンと戦ったプロシアの指揮官は、みな特別に優れた才能があったわけではないのですが、
質が揃っていたので、ナポレオンと戦ったら、適当に戦って、退けということで、
まともに戦っていないわけです。
ナポレオンは勝ったと思って、別の方で戦っている味方を助けに行くと、
逃げていった敵の兵隊が、そこに再び戻ってきていたのです。
それを6回ぐらい繰り返したのです。
結局、ナポレオンはライプチヒの戦い(1813年10月)で、
プロシア、オーストリア、ロシア同盟軍に敗れて、フランスに引き揚げて、
翌年にはパリが陥落し、ナポレオンは退位し、エルバ島に幽閉されました。
ーー中略ーー
ビスマルクが、当時30ほどの小さな国に別れた国をまとめてプロシア(ドイツ)を統一する過程
ウィーンというのはヨーロッパでは第二のパリのような都市だったので、
プロシア軍も皆突入したかったのだけれど、ビスマルクには、ドイツをひとまとめにしようという構想があったので、オーストリアの恨みを買わないように、突入を止めるのです。
ーー中略ーー
ビスマルクは、オーストリアから賠償金も取らず、土地の割譲もさせませんでした。
これは当時としては異例のことで、負けたオーストリアがプロシアに恩を着る形になりました。
これによって、その後のオーストリアは、ドイツのことに口を出さなくなり、
さらには、プロシアと行動を共にするようになっていったのです。
=============
ベロック 「The Jews」
ロシア革命は当時イギリスでは「The Jewish Revolution」(ユダヤ人革命)と呼ばれていました。
それというのもトロツキー(1879~1940)もユダヤ系であるし、
レーニン(1870~1924)の母親もユダヤ系で、
ボルシェビキの大多数はアメリカから応援に押しかけてきたユダヤ人だったからです。