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尖閣研究 高良学術調査団資料集

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尖閣研究 高良学術調査団資料集/データム・レキオス
¥5,040
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1960年代までの尖閣諸島の学術研究を集めた資料集
歴史問題とかではなく、自然・動物などの研究です。

1968年、尖閣諸島に大油田があると報じた新聞
国連機関より前に報じているんでしょうか?



当時、台湾の漁民が勝手に漁をしに侵入していたことを報じている。
現在は民間で(国交はないので)漁業協定が結ばれています。



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1968年まで尖閣諸島は自由に調査を行うために上陸していた。
しかし、1968年琉球政府(当時は沖縄県はアメリカ領で、返還前)はわざわざ地主に承諾を求めました。
当時の地主の古賀善次さんは「気を使う必要はない」という旨の返事を出しています。

その余計なことが、思わぬ大きな災いの元凶になると誰が予想しただろうか。
古賀氏が元気なうちはよかった。
埼玉県在住の実業家(栗原氏のことか?)へ島を譲渡した後がいけなかった。
新地主は上陸承諾を得なければ、何人も自由に上陸し、簡単には調査できなくしてしまった。

わざわざヤブをつついてヘビを出すこの愚策は、尖閣にとって致命的悪弊・障害を引き起こす一員となった。

更には国の上陸禁止措置と相まって、学術調査は中断し、
目下上陸禁止となった魚釣島の自然生態系はヤギの食害で崩壊の瀬戸際に追い込まれている。



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高良鉄夫(元琉球大学学長)と赤嶺得信(元琉球放送テレビ記者)などの対談から

継続できなかったか、鰹節事業

赤嶺
昔使われていた鰹節工場がありましたねぇ、何年くらい続いたのでしょうか。
あの形をそのまま引き継いでおれば、今のように問題は起きなかったかもしれませんねぇ。
向こうで生産活動をしておれば。


高良
古賀さんは昭和5年頃、事業を中止している。
無人島状態になっている。
戦前与那国に本拠地があった発田鰹節工場は、充実した設備と生産量で東洋一と言われていたが、終戦後になって、発田重春さんが仮製造場に使っていた。
鰹を採って石垣に持ってくるまでには質が悪くなる。
だから船を二つ持ち、一つは釣りに行って、もう一つは仮製造物を石垣まで送っていた。
四国辺りから来た日本マストの黒い大きな船は夜通し、釣って加工まで船の中でやっている。
最初の調査で魚釣島にいったときは驚いた。
鰹節が主体だから内蔵は皆んな海岸に捨てている。
だから、それが腐って、ハエが黒山のように一杯たかっている。
雲が沸き立つようだった。
近くにいたらもう目も開けられん。

赤嶺
カツオの内臓をちゃんと海に戻せば魚の餌になったんじゃないか(笑)


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