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封殺された対話 小倉英敬

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1996年から1997年にかけておきたペルー日本大使館公邸占拠事件
著者は当時、人質になっていた外交官です。

若干、マルクスに毒されている気が、そして長い間一緒にいたことから犯人側に情がある可能性は感じましたが、当時のペルーおよび事件の様子がわかるとてもいい本です。

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事件の発生から武力決着に至るまでのプロセスで、国際法上明らかにしておくべき点が何点かある。
第一点は大使公邸の主権問題である。
ウィーン条約上、大使公邸には基本的には日本の主権が及ぶと理解される。
特に、同条約第22条第一項は
「使節団の公館は、不可侵とする。
接受国の官吏は、使節団の長が同意した場合を除くほか、公館に立ち入ることはできない。」

と規定している。
ペルー軍特殊部隊が日本政府の同意を突入したことは、国際法上いかに解釈すべきなのか。
また、日本の警視庁は1998年2月にMRTAゲリラ幹部3人を書類送検したが、
ペルー軍が突入の際に公邸内でゲリラ14人を殺害したことは不問にされ、
事実経過さえはっきりしていない。
これらの点も明らかにされる必要があろう。

第二点は、外交使節団施設の警備責任の問題である。
事件の発生に関して、ペルー政府側は日本国大使館の警備責任を原因に挙げている。
確かに、大使館側に公邸内部の警備に関して問題があったことは否定できない。
しかし、公邸外部の警備責任はペルー政府にあったのではないか

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コロンブスのアメリカ到着以来の500年の歴史をどう捉えるかに関してロハス(テロリストのリーダー格)に質問した。
これに対してロハスは、コロンブスのアメリカ到着は、先住民の虐殺が生じたり、永続的な不等価交換に基づく収奪のメカニズムに組み込まれたというマイナスの面も否定できないが、
近代的な技術がアメリカ大陸にもたらされる結果になったので、二つの文化の出会いをもたらしたという意味でプラスであったと評価していると述べた。
また、ラテンアメリカは資本主義と触れることによって、経済発展のオプションができたという意味でも評価すべきであると言った。

ロハスの説明は、かなり「外交的配慮」が入っていたように思えた。
―ー中略ーー
ロハスの説明によっても、MRTAが先住民をコロンブス到着以降のすべての歴史に対立させるというような単純な「500年史」観を持っていたのではないことは明らかであった。

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日本政府が武力突入に同意する可能性はほぼないと断言できると思うと(MRTAに)答えていた。
私は、人質が天皇誕生日を祝賀するためのレセプションに招かれた招待客である以上、
日本政府はたとえ一人の招待客の死も避けねばならない立場に置かれている
と強調した。

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フジモリ大統領は、陸軍情報部員に関連するスキャンダルとモンテシノス国家情報局特別顧問の高額所得問題によって支持率が低下した時点で、政治的判断から武力突入を選択した。
この時点が、武力突入の準備ができた時点に合致したのであろう。
しかし、政治的判断が優先されたというよりも武力突入のための条件が整ったということが決定的要因となったと思われる。

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国際法的に見れば、責任は明らかにペルー政府にある。
外交関係に関するウィーン条約第22条第二項は、
「接受国は、侵入または損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置をとる特別の責務を有する」
と規定している。
接受国は「特別の責務を有する」のである。

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ウィーン条約第22条第一項には、
「使節団の公館は、不可侵とする。
接受国の官吏は、使節団の長が同意した場合を除くほか、公館に立ち入ることはできない。」
と規定されている。
公邸敷地の下にトンネルを掘削したことも主権侵害である。
極端に言えば上空の飛行も主権侵害に相当するだろう。

主権侵害の問題に関して、日本政府はきわめて曖昧な態度をとることに終始した。
法律論で対処することはなかった。
橋本総理は「遺憾だということは申し上げたうえで、私は理解をいたしますということを申し上げました」と述べた。(4月22日橋本総理記者会見)





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