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条約で読む日本の近現代史 藤岡信勝

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日本が諸外国と結んだ有名な条約を通じて日本の近現代史を読み解く本

いい本ではあるが、いきなりこれから入ってもチンプンカンプンだろうとおもう。
この本を読むなら、自虐史観でもいいがある程度の歴史の流れを知っていなければ難しいと思う。

構成としては主に条約締結の背景、条約の文章の要旨、詳細な説明、その影響
を各条約ごとに述べている。

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ペリー来日に際して

日本に開国を迫る「対日戦争計画書」を作成した人物は、ニューヨークに法律事務所を構え、
ロビー活動を生業としていたアーロン・パーマーだった。
アメリカは世論の国だから、国をあげて事を為すには、正義が失われたなどという刺激的な動機が必要だった。
パーマーは、世界中の新聞からアメリカの捕鯨船の遭難者が日本で虐待されたという記事をかき集め、各界に焚き付けて回った。

ここまで
昔からずっと変わらないこのふざけたロビー活動
嘘八百でも並べて世論を形成して外交方針を決めていく

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日朝修好条規

日本側全権の宮本小一(おいち)理事官が書簡を送り、
日本は朝鮮に輸出される日本商品と日本に輸入する朝鮮商品とに、ともに税を課さないということを通告し、
同時に朝鮮も同様な特恵条件を日本に要求したのに対し、
朝鮮側全権代表の趙寅煕が書簡をもって同意する旨回答したことで
「公文(修好条規付録に付属する往復文書)」に取り入れられた
(外務省「日本外交文書」第9巻92)
日朝両国がいわば関税自主権をともに放棄したのである。

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小村寿太郎のエピソード

1983年秋、小村は駐清代理公使として北京に赴任した。
当時清国きっての実力者は、北洋大臣の李鴻章だった。
大柄な偉丈夫だった李は、列国公使が居並ぶ宴席で小柄な小村に向かって、
「こう見渡したところ、閣下が一番小さくていらっしゃる。
貴国人は皆閣下のように小さい人ばかりですか」
とからかった。
これに小村は「いや閣下のように体の大きな男はおりますが、多くは愚鈍のものです。
わが国では、『大男総身に知恵が回りかね』というくらいで、彼らはとても通常の仕事に堪えませんので、やむなく相撲などとらせて生計の道を与えております」
と微笑して応酬した。
李は返す言葉もなく、きまり悪そうに引き下がった。

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ベルサイユ条約

無条件で条約に調印したことはドイツには屈辱だった。
西部でアルザス・ロレーヌ、東部では西プロイセンがそれぞれフランスとポーランドに無条件で割譲された。
そして1921年4月に決定した賠償総額は1320億マルク、年20億ブラス貿易輸出額の26%という天文学的数字であった。
そのこともあって調印責任者のエルツベルガーはこの年8月に暗殺されている。

賠償で決まったルール炭田の権利譲渡は1923年に執行されたが、
このときにフランス・ベルギーの連合軍が進駐した。
ドイツ人への迫害は情け容赦なく、多くの炭田労働者がストライキで死に、
ルールから追い払われた。
フランスへの憎悪は強まり、この年の11月にヒトラー率いるミュンヘン一揆が起こるのは偶然ではない。

ドイツは賠償金を払うために国債や紙幣を濫発せねばならなくなり、
これはドイツマルクを暴落させ、紙くず化させることになった。
このため二束三文になった首都ベルリンの町の土地や不動産を、
ここを先途(運命・勝敗の分かれ目)とユダヤ人が買いあさった。

ドイツ人はこれを恨みに思った。
これは大西洋横断単独飛行でアメリカの英雄となったチャールズ・リンドバーグが十数年後のナチス全盛の時代に、ベルリンにおいて聞いていることである。

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1291年に起源を持つスイスは、ドイツ系、フランス系、イタリア系住民、そしてロマン(ラテン系)人の織りなす複合民族国家であった。
地域的に民族が分居して共通語がない。
しかし国民的結合はおどろくほど強い。
ドイツ系住民はドイツが攻めてくればドイツと戦うと宣言し、
フランス系はスイスを侵略したナポレオンを憎悪するというように、
スイスに対する愛国心はゆるぎもなかった。

金井は単一民族国家のほうが国民の団結は優れていると思っていたが、
スイスを見て考えを変えた。
そしてウィルソンが掲げる「民族自決」に疑いを抱くようになった。
この考えはさまざまな国家や民族の歴史的、地理的な特殊性をはなはだしく無視している。
領土が小さく資源がないことによって、民族の自決が簡単ではない国のほうが実際は多いのではないか。
どの国もアメリカのようにはいかない。
金井はアメリカの偽善を感じた。

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日独伊三国軍事同盟

東京裁判では、三国軍事同盟は、日本とドイツ、イタリアが軍事同盟を結び、
他国への侵略を企んだように喧伝されている。
しかし、実際に三国で軍事的に共同戦線を貼って戦った場面はなかった。
それは、当然なことである。
条文に記されていたのは、このうちいずれかの一国が、現在のヨーロッパでの戦争や日本と支那(中国)との紛争に加わっていない国から攻撃された時は、
三国はあらゆる政治的、経済的、軍事的方法で互いに援助することを約束するという程度のものだったからである。


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2005年に欧州議会(25カ国730人の議員で構成されるEUの立法機関)では、
「北方領土は日本に返還されるべき」との決議がなされている。
(平成17年7月19日「読売新聞」)

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日ソ共同宣言においても、第六条にて

六、ソ連は、日本に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日本国およびソ連は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じた(中略)請求権を、相互に、放棄する。


と書いている。



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