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普天間の謎 森本敏

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今秋の沖縄知事選の大きな争点である普天間基地移設問題
この歴史について、元防衛大臣の森本敏さんが解説してくれている本

この本はとてもわかりやすかった。

橋本龍太郎内閣がなんとかして辺野古移設を合意し、
紆余曲折しながらも具体案が確立していった中で、
鳩山元首相がひっくり返した、という経緯がよく分かる。

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1996年4月14日にペリー国防長官が来日し、日米安全保障協議委員会(SCC)が開催された。
そして、翌15日、日米両政府はSACO中間報告を発表し、そこでは橋本・モンデール合意に基づき、
①移設の条件付きで米軍施設の20%を返還する
②普天間飛行場は5年から7年の間に全面返還する

という内容が改めて具体的に示された。

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在日米軍の中で戦闘部隊は空軍と海兵隊のみであり、陸軍は主として司令部・管理・通信・補給・輸送・情報等を担当する管理支援部隊である。
海軍も第7艦隊(洋上にある部隊であり、在日米軍ではない)隷下の海軍および航空部隊に対する整備・通信・輸送・補給等を担当する支援部隊である。
従って、在日米軍は第7艦隊だけいればよいという小沢一郎氏の言葉(2009年2月24日、民主党代表時の発言)は論理的ではなく、第7艦隊は在日米軍ではないが、しかし、在日米海軍の支援があって初めて第7艦隊が活動できるような仕組みになっている。

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2006年4月7日、額賀防衛庁長官と島袋市長は滑走路をV字路に日本建設する修正案で合意することとなった。
この内一本は、政府案滑走路を反時計回りに若干回転させた「メイン滑走路」で、平時の有視界飛行の離着陸用と悪天候時の計器飛行の着陸用である。
もう一本は、政府案をやや沖合にずらした「サブ滑走路」で、主に悪天候時の離陸用に使用するとされた。
このV字型滑走路案について額賀元防衛庁長官は、
「中央公論」(2010年3月号)「野党ボケの鳩山政権が日本の安全保障を危うくする」の中で、
「結局、離陸と着陸を分けて滑走路を二本作れば、住居などの上空を飛ばなくても済むという構想が浮かんだ。
防衛庁の日本技術の専門家と陸上自衛隊のヘリ部隊の意見を聞きながら、
いわゆる『V字型滑走路』を考えだし、この案を市長に提案して合意にこぎつけることが出来たのだ」と書いている。

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かつて徳之島は、「政争の島」として知られた島である。
1983年から、自民党の保岡興治・元法相と徳田虎雄・自由連合代表が、
旧奄美群島区の一議席を巡って「保徳戦争」と呼ばれる激しい政争を繰り広げた。
町長や町議も二派に分かれて直接行動も含む激しい選挙戦が行われ、選挙のたびに機動隊が投票所に配備されるほどであった。
その後、選挙制度が変更され、2006年に徳田虎雄氏の後を継いだ次男の徳田毅衆院議員が自民党入りし、二派の争いは終息した。

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(2010年)5月4日、鳩山首相は、こうした決断をした後で首相になってはじめて沖縄を訪問し、
仲井真弘多知事、高嶺善伸県議会議長、稲嶺進名護市長らと会談、
糸満市の国立沖縄戦没者墓苑を参拝し、名護市辺野古のキャンプ・シュワブを見学、
そして普天間基地周辺の住民との対話集会に出席した。

首相はこれら一連の会談で、「県外移設は難しい」「沖縄にまた負担をお願いしなければならない」と述べて、今まで主張してきた県外移設を事実上、断念し、県内移設を改めて要請した。



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