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日本政党史 季武嘉也・武田知己

日本の政党の変遷を見たかったのだが、消化不良だった。
戦前については、学校教育で習った程度の内容がほとんどだった。
この本を読んで55年体制というのが、自民党だけでなく、社会党も統一したことを意味していたことを知った。
戦後の政治史をざっくり見るものとしては面白かった。

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大戦終結後、最初の衆議院議員総選挙は1946年4月10日に実施された。
1945年12月公布の改正衆議院議員選挙法では、女子に選挙権・被選挙権が付与されれとともに、選挙権年齢が20歳、被選挙権年齢が25歳に引き下げられ、都道府県を単位とする大選挙区制限連記制が採用された。

ここまで
今まで気にしていなかったが、年号を見ると、
この選挙権の変更は、大日本帝国憲法下で行われたものだということがわかる。
日本国憲法の公布は1946年11月3日だから


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衆議院第二党である社会党は、1980年代には「日本における社会主義への道」の見直しを始め、1984年頃からは政策の現実化を進めていた。
そして、1985年9月11日、自らを階級政党であることを否定し、
「保守」との連合もあり得ることと明記された「新宣言」が提出される。
そこには、60年代に端を発する中道政党の連合による政権路線、社公民路線への一定の評価があった。
マルクス・レーニン主義から西欧型社会民主主義路線への転換を示唆した新宣言は、激しい議論の末に、1986年1月22日の第50回大会で採択された。
これは画期的なことではあったが、
「日本における社会主義への道」を否定するまでに20年の歳月が流れたことになる。
「55年体制」を政権交代可能な政党体制に戻すには長すぎる時間であった。

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1986年7月6日の2度めの衆参同日選挙の結果に如実に現れた。
一般にダブル選挙とも呼ばれる衆参同日選挙が行われるのは、1980年の選挙以来2度めであった。
一般に、ダブル選挙は投票率をあげる効果があるとされている。
特に、大都市部になればなるほどその傾向があり、1割程度の増加が見られると言われる

さらに、このころから、支持政党無し層(「浮動票層」「無党派層」)の動向が選挙結果に大きな影響をあたえることが注目され始めていた。

ここまで
公明党の山口代表が、衆参同日選挙が憲法の精神に反するとか言っている(ここ)が、
もう二度も行っているんだが・・・

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田中(角栄)から二階堂・竹下登・金丸信らの世代に田中派の実験は移動し始めていく。
田中派の若手議員でその後の政局の中心となる竹下・金丸に加え、小沢一郎・羽田孜・梶山静六・小渕恵三・橋本龍太郎らが築地の料亭「桂」に集合し、
竹下を総裁候補に擁立しようとしたのは、二階堂擁立が挫折し、中曽根再選が決定した直後の1984年12月である。
そして、彼等の手によって、田中派の中から「派中派」というべき「創政会」が1985年2月旗揚げされる。
結果的には田中の締め付けが奏功して40人での出発となったのだが、当初は120人を擁する田中派から85人もの参加が予想されていた。

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社会党系の総評、民社党系の同盟に加え、共産系の新産別、
そして中立系の中立労働組合連合会儀(中立労連)の労働四団体が、
89年11月に日本労働組合総連合会(連合)の創設にこぎつけていた。
78単産、800万人の労働者を擁するナショナルセンターの連合は、社会党と民社党の共闘を模索し、89年の参議院選挙では「連合の会」(のち民主改革連合)を結成し、
野党統一公認候補として11人の当選者を出していた。


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