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私も原子力が怖かった 竹村健一

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1981年の本なので、チェルノブイリ事故より前
スリーマイル事故はあった程度の段階
この事故は実質被害はないので、
この段階では原発の大きな事故は起きていない。

よって、この本は原発の安全性について考えが甘いところが見られる。
とはいえ、この本には主にマスコミに対する科学へ、そして未知のものに対する態度への批判が的確に表されている。

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いつでも、どんな場合でも、立地問題には必ずといっていいほど反対運動は付きものらしいが、こと、原子力発電所となると一段とその厳しさを増す。
それはとりもなおさず、日本人だけが持つ強い核アレルギーゆえにほかならない。

安全だといわれたところで、一般人にこの巨大技術なるものを、そう簡単に理解できるものではない。
結局、最後には、信じるか、信じないかの問題になってしまう
「あの電力会社のやることだったら・・・。あの人のいうことなら・・・」といった信頼感を持てるかどうかということである。
それは多分に宗教的様相を呈してくる。

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地元住民にとって最も不幸で迷惑なことは、外からの侵入者、いわゆる外人部隊による無責任な反対運動だ。
彼等は住民を利用して、ただ反対のための反対というわけのわからぬものに住民を巻き込む。
住民に対して開かれる勉強会や公聴会を邪魔したり、つぶしたり、やたらと恐怖感を煽ったりする。
ある住民は言う。
「話がまとまりかけると、よそ者が入ってきてひっかきまわす」と。

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「大部分の住民はサイレント・マジョリティなものですから・・・」
と、関係者は言う。
この人たちは賛成しているというよりは、正確に言うと、反対はしていないが・・・という感じである。
白か黒かではなく、その中間のグレイ・ゾーン的な人が大部分であり、その中で積極的賛成者は全体の二割程度という。

だが、ノイジイ・マイノリティ(大きな声で騒ぎ立てている少数派)に対して、
サイレント・マジョリティ(沈黙の多数派)は決して反論することはない。

それでは、地元住民がグレイ・ゾーンではあるけれども、反対はしないという根拠は何であろうか。
原発に対する理解が深まったことや、原発の必要性を認識するようになったこともあるが、何よりも地域振興への大きな期待感だと関係者は一様に言う。

つまり、電源三法交付金のほかに、地域寄与という意味で、工業団地を作り、
企業誘致・地元雇用を図ってほしい、というのが地元住民の切なる願いなのである。

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朝日新聞の社説である。
新潟県の柏崎刈羽原子力発電所の増設を巡って開かれた公開ヒアリングについて書かれたものである。
「我が国の原子力開発は、いま主要な岐路にさしかかっている。
・・・原子力開発をめぐって、国民の間で真剣な論議がますます必要な時期にきているといえよう。
にもかかわらず、貴重な論議の場の一つであるはずの公開ヒアリングを、反対派はなぜボイコットするのか。
堂々と参加して反対意見を述べたり、疑問点を追及したりしないのか。
警官隊との衝突からは何も生まれてこないだけでなく、本当に訴えるべき住民の切実な声や素朴な疑問までかき消していしまう恐れさえある」

ーー中略ーー
トキを同じくして、毎日新聞の「マスコミ診断」という欄に、かつて週刊朝日の編集長で、現在は評論家として活躍中の扇谷正造さんがこんなことを書いていた。
「原発と空港と新幹線は、現在におけるジャーナリズムのタブーと言われているが、
反対だ、大会だ、デモだというような現象のリポートはもう正直いってうんざりである。
・・・本当に反対の立場に追い込まれているのは、何人いるのか、
その人達はどういう状況なのか、提供された条件とか代替地はどういうものなのか、
この反対している人たちは新幹線や飛行機をりようしないのか、一度、一人一人聞いてみろ、
もっとくわしいことを調べてみろ」
というような主旨であった。

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その頃の松下幸之助さんの言葉が非常に印象に残っている。
ふぐは毒を持っている。
大変美味しいけれど毒があるから食べないというのと、
毒を取り除いて食べるというのと、
どちらが人間の生き方らしいかといえば、後者のほうが人間のいままでの生き方であり、それが人間の智慧であるという主旨であった。

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石炭火力発電所からも放射能が出ることを知った。
ポーランドのブローツワーフ工科大学のパチーナ博士の研究によると、
石炭火力の煙突から500メートルの地点に住む人が、一年間に浴びる放射線は全身で1.4ミリレムだという。
ところが日本の原子力発電所の敷地境界線で、よぶんに浴びる放射線の量は年間0.3ミリレム以下である。

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青少年問題研究所が、
「いつ悪い人があなたの家に侵入してくるかわからないという不安を持っていますか」
という質問を、アメリカと日本の子供にしたことがある。
するとアメリカの子供は、なんと98%がイエスと答えたのに対し、
日本の子供は39%だけがイエスと答えたという。
日本の子供の10人中6人は「そんな悪い人はいない」と思っているのである。
だからおそらく、日本の大人に
「いつ悪い国が侵入してくるかわからないという不安を持っていますか」
と「人」を「国」に変えて質問したら、たぶん十人中六人まで
「そんな悪い国はないだろう」
と答えるのではないだろうか。


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