昭和初期から大東亜戦争に至るまでの日本の戦の失敗における分析
ノモンハン事件については、ソ連崩壊後のあちらの情報公開で、実はソ連側も大層な被害にあっていたことが分かっているので、情報戦での完敗はあるにしても、実戦としては引き分けなんじゃないかと思う。
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インパール作戦における牟田口廉也のインド進行論
私は盧溝橋事件のきっかけを作ったが、事件は拡大してシナ事変となり、遂に今次大東亜戦争にまで進展してしまった。
若し今後自分の力によってインドに進行し、大東亜戦争遂行に決定的な影響を与えることができれば、今次大戦勃発の遠因を作った私としては、国家に対して申し訳が立つであろう。
ここまで
こんな個人的な気持ちで作戦立ててほしくない。
この本で最後の方に書かれているが、上層部に対する賞罰が極めて甘いと思う。
積極論をかませばとりあえずプラス査定、消極的な奴はマイナス
これでは、うまく行ってるときはいいが、うまく行かなくなった途端泥沼になる。
今は守りに入った人、というかミスをしないように何もしない人がいい評価を得ているように思える。
正直、結果を出した者を評価するようにしてほしいものです。
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殆どの場合に問題になるのは、方法であり、手段であった。
ときとして、目的・目標ばかりでなく、方法・手段そのものも所与のものとされ、
教官や各種の操典が指示するところを半ば機械的に暗記し、それを忠実に再現することが、最も評価され、奨励されさえした。
いわば「模範解答」が用意され、その解答への近さが評価基準となっているのである。
兵士の訓練において「脚を靴に合わせる」ような教育方法が採用されたが、
士官レベルの教育においても、そうしたタイプの教育が次第にウェイトを高めてきた。
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これら転勤者(作戦失敗の影響で)はその後、いつの間にか中央部の要職についていた。
なかには大本営作戦課の重要ポストを占めたものもいた。
申し訳の左遷であったのである。
これが陸軍人事行政の一側面と言えよう。
信賞必罰は陸軍部内では公正でなかった。
積極論者が過失を犯した場合、人事当局は大目に見た。
処罰してもその多くは申し訳的であった。
一方、自重論者は卑怯者扱いにされがちで、その上もしも過失を犯せば、手厳しく責任を追求される場合が少なくなかった。
このような陸軍人事行政は、つぎつぎに平地に波乱を巻き起こしていく猪突性を助長する結果となった。
(林三郎 「太平洋戦争陸戦概史」)
ノモンハン事件については、ソ連崩壊後のあちらの情報公開で、実はソ連側も大層な被害にあっていたことが分かっているので、情報戦での完敗はあるにしても、実戦としては引き分けなんじゃないかと思う。
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インパール作戦における牟田口廉也のインド進行論
私は盧溝橋事件のきっかけを作ったが、事件は拡大してシナ事変となり、遂に今次大東亜戦争にまで進展してしまった。
若し今後自分の力によってインドに進行し、大東亜戦争遂行に決定的な影響を与えることができれば、今次大戦勃発の遠因を作った私としては、国家に対して申し訳が立つであろう。
ここまで
こんな個人的な気持ちで作戦立ててほしくない。
この本で最後の方に書かれているが、上層部に対する賞罰が極めて甘いと思う。
積極論をかませばとりあえずプラス査定、消極的な奴はマイナス
これでは、うまく行ってるときはいいが、うまく行かなくなった途端泥沼になる。
今は守りに入った人、というかミスをしないように何もしない人がいい評価を得ているように思える。
正直、結果を出した者を評価するようにしてほしいものです。
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殆どの場合に問題になるのは、方法であり、手段であった。
ときとして、目的・目標ばかりでなく、方法・手段そのものも所与のものとされ、
教官や各種の操典が指示するところを半ば機械的に暗記し、それを忠実に再現することが、最も評価され、奨励されさえした。
いわば「模範解答」が用意され、その解答への近さが評価基準となっているのである。
兵士の訓練において「脚を靴に合わせる」ような教育方法が採用されたが、
士官レベルの教育においても、そうしたタイプの教育が次第にウェイトを高めてきた。
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これら転勤者(作戦失敗の影響で)はその後、いつの間にか中央部の要職についていた。
なかには大本営作戦課の重要ポストを占めたものもいた。
申し訳の左遷であったのである。
これが陸軍人事行政の一側面と言えよう。
信賞必罰は陸軍部内では公正でなかった。
積極論者が過失を犯した場合、人事当局は大目に見た。
処罰してもその多くは申し訳的であった。
一方、自重論者は卑怯者扱いにされがちで、その上もしも過失を犯せば、手厳しく責任を追求される場合が少なくなかった。
このような陸軍人事行政は、つぎつぎに平地に波乱を巻き起こしていく猪突性を助長する結果となった。
(林三郎 「太平洋戦争陸戦概史」)