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日本町人国家論 天谷直弘

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元通産官僚の天谷さんの80年代前半の本

とてもわかりやすくて面白い。
現実主義的な考えの持ち主

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今日の国際社会を見ると、そこには徳川社会の構造と一脈相通じるものがあるように思われる。
たとえば、日本は商工をもって立ち、米国やソ連は士農工商を兼備し多くの発展途上国は農をもって立っている。

国際社会において「士」の武力が行使されず、「商工」のルールが堅く守られているのならば、
まさに「世界は日本のためにある」と高らかに歌っても良いであろう。
しかし、残念ながら現実は異なる。

毛沢東は「革命は舞踏会ではない」といった由であるが、
毛さんのパロディーを用いれば「国際社会は舞踏会ではない。国際社会は半ばジャングルである」

そして日本はジャングルに生きる肥ったうさぎに近い存在である。
熊や狼が「うさぎさん、うさぎさん、爪も牙もなくてほんとうにかわいそう」といたわってくれるなどという妄想を抱いてはならない。


ジャングルでうさぎが繁殖し、武士社会で町人がしたたかに繁栄していくためには、
卓越した情報収集能力、構想力、直観力、外交能力、そして時にはゴマスリ能力までが必要なのだ。
正義とか平和とか自由無差別とかキレイ事だけを唱えていれば、うさぎも町人も栄えることができるなどと思ってはならない。


今日の「町人国家日本」の振る舞いを虚心にながめると、徳川時代の町人のような真剣さ細心さをもって、国際社会に気を配り金を配っているとは思えない。


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私は「小商人」と「大町人」を厳しく区別し、後者は実質的に「Nobless(高い身分)」だと考えている。
「大町人」がその”Nobless"としての義務を十二分に自覚するようになると、
その「大町人」は優れた「武士」としての必要条件を具備したことになる。
逆に言えば、「武士」という”Nobless"は絶対に、頭の空っぽな凶器保持者であってはならないのである。

優れた「武士」とは「大町人」としての思慮分別克己恭倹の徳の上に、
武力の管理と活用に関する高度の能力を集積するという、
重い義務の負担に耐えうる者でなければならない。

「町人国家論」における私の主張の眼目は、
一方では「やせがまんは一切いやだという極端な権力外交嫌悪」の「小商人」精神の批判である。
他方では「抜刀思考型の極端な権力外交を渇望」する頭の空っぽな「凶器保持者」になることに対する厳しい警戒である。

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一方では、因幡の白兎のように赤はだかで寝ていれば、
平和を愛する大国主命がやって来て、よしよし可哀想にと言ってくれるだろうという依存の精神構造。
他方では、叱られれば子どものように泣き、つつかれればフグのようにふくれる反抗期の精神構造。
この2つの小児性コンプレックスを克服しないかぎり、日本の将来は楽観を許さないと思う。


経済成長は、それだけでは空しい。
精神的成熟を伴わない経済成長は、醤油もわさびもない刺身のような物である。


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