以前、角田房子さんの「責任ラバウルの将軍今村均」を読んで今村均さんをもっと知ろうと思って借りてきた本
戦時中、ラバウル方面の司令官だった陸軍大将です
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終戦の玉音放送の内容を知った後、今村大将がいった言葉
(前略)
私は思う。
人間は運命、すなわち四囲の環境による影響を逃れることは出来ない。
同様に国家も、また運命作用から自由でありえない。
公正の歴史家は満州事変以来の、我が日本の歩みを、さまざまに批判するであろう。
が、私は、これを民族的宿命と信じている。
死中に活を得ようとして起ったこの戦争も、事成らずして敗れた終戦も、また運命であると考える。
運命に対し、もっとも平静であり、かつ勇敢であるのは、昨日までの敵(日華事変関係)漢民族である。
彼らは四千年の間、いくたびか多民族に征服される悲運にあったが没法子(メイファーズ:仕方がない)とつぶやくだけで、決して自暴自棄しないで、前以上の努力を尽くし、
復興に励み、いつの間にか、己の文化を持って、征服者を征服し、政治的にこれを駆逐している。
運命がいかんともいたし難いものである以上、運命に執着したり、運命を考えたり、
これを悔やんだりしても仕方がない。
ただ努力精励、再建復興につとめるべきである。
”艱難汝を玉にす”の句は、個人同様、民族においてもそうである。
諸君よ、どうか部下の若人たちをして、失望させないように教えてくれたまえ
七万の将兵は、ただ汗と膏(あぶら)とで、こんな地下要塞を建設し、万古斧鉞を入れたことのない原始密林を開き、七千町歩からの自活農園を開拓までしている。
この経験、この自信を終始忘れずに君国の復興、各自の発展に活用するよう促してもらいたい。
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部下が、外国人を不法に誘導し、借り出したという罪で問われた際に今村大将が反論した要点
一、インド人はチャンドラ・ボース氏の傘下に入り、インドの独立を目指し日本軍に協力することを宣誓した者で、
南方軍総司令官寺内大将はそれらを捕虜たる身分から解放し、ついで大本営の命令により、
その一部をもって日本軍に対する協力労務部隊を作り、ラバウルに輸送してきたものである。
二、インドネシア人は蘭印方面で志願者中から試験の上採用し、
兵補の名称下に準日本兵の待遇と階級とを与え、これまた南方総軍が輸送してよこしたものである。
三、中国人労務者は、南京政府主席、汪精衛氏の日本軍に対する協力により上海付近で集めた賃金労働者が大部分で、一部には宣誓の上解放された捕虜中の希望者から採用した者もある。
支那総軍司令官畑大将が、これもまた大本営の命令により労務隊として編成の上、
東方面に輸送してきたものである。
四、右の各労務隊員に対する、予の部下の取り扱いが不当であったとするならば、
日本の国法により裁かるべきもので、一般捕虜に対する不法行為と同様にみなし
連合軍の裁判に付することは適性でない。
五、それでも戦争犯罪者として裁こうとするならば、監督指導の地位にある最高指揮官を責べきで、
個々の将兵を裁くべきではない。
よってすみやかに予を裁判し、他は解放されたい。
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軍人は軍閥の走狗になり、国を潰した不忠者、との世のののしり
この悪罵の嵐は、たしかに終戦直後、国の内外に吹きすさび、今でもその余勢が静まりきってはいない。
これは、次の3つの事情によるのです。
第一は、アメリカ軍の行った大きな宣伝のためだ。
彼らは考えたのだ。
日本の天皇は終戦を決意されても、この勇敢決死の民族の闘志は、容易のことでは静まるまい。
現に決戦を直訴しようとした陸軍軍人もあれば、終戦詔書の煥発のあとに飛び出し、
アメリカ艦隊に爆弾とともに突撃した幾多の海軍特攻隊もあったではないか。
従って日本の占領は、大きい犠牲なしには出来まい。
すみやかにこの国民の戦意を喪失せしめることが、最大緊急の要務だ。
これがためにはまず国民の団結を破壊し、相互に争うように仕向け、完全に弱体化しなければならない、と。
ーー中略ーー
第二の事情は、終戦前までの長い間、思想上または能力上、時の指導階級に入れられず、
野にあったか、またはその下積みになり、驥足を伸ばし得ずにいた不満不平の学者、文人、思想家、政治家が、一斉に右の米軍宣伝の波に乗り、いっさいの愛国的または民族的言論が、
進駐軍により絶対に禁圧されている虚につけ込み、米軍の強力な指示と、庇護のもとに、
旧指導階級排撃の論陣を張り、攻撃重点を、軍部とこれに関連を持った人々に集中し、
ついに公職追放の名のもとに全部を排斥し、これにかわって権力の地位についたものは、
その庇護者の旨を奉じ、みずから、日本民族は、軍閥の指導により、世界に対し、不正義を強行しようとしたものだ、と肯定するまでに隷属的となってしまった。
ーー中略ーー
第三の事情は、国民全部の突き詰めた気分だ。
きみが、あんなにも、全国民が一生懸命になり、いっさいをささげて行った聖戦が、
何故に成らなかったのか、と私に尋ねる。
同じ疑惑と不満とは、全民衆に共通したものである。
真剣であっただけ、それだけ、失望は大きく、勝つと誓っておきながら、なんたる体たらくだ、
いったい軍はどんな戦争をしたのだ、いつも勝った勝ったと大きく放送しながら、あれはうそだったのか、と憤激するのはもっとものことである。
英国のように、国民を信頼し、負け勝ちをなんの粉飾なしに真実をしらしめるやり方と違い、
負けはいっさいひたかくしにし、または巧みに言い繕い、
勝ちだけを五、六倍に拡大して聞かせるようにした要路の人たちの間違いから、
我が同胞が、もう撃ち落としていなくなっているはずの米軍爆撃機が、
日毎に増え、いよいよ多くの爆弾や焼夷弾を浴びせかけることを不審にし、
軍部の嘘つきめ、とののしったとて、どこに無理があろう。
ただひたむきに、戦勝だけにいっさいをささげつくして丸裸になった国民の前に現れたものは、勝ち誇った最優良装備の米軍であっては、信頼の度が強かっただけ余計に軍に対する不甲斐なさが感じられ、
ただこれだけにいきどおりののろいが発せられることは自然である。
いな、敗戦のくやしくてくやしくてたまらない鬱憤は、せめても、こう罵っているのでなければ、たまらないのである。
ーー中略ーー
まず新憲法だが、人伝えだから、ほんとうかどうか、責任をもって言えるものではないが、
あれは日本人が作ったものではなく、アメリカ軍司令官から、こうせよ、
と無理に授けられたものだそうだ。
だから平和会議でもすみ、独立国家になり得たときは、必ず日本の国体にしっくりはまったものに、改められるに相違ないと信ずる。
日本の国体は、同一血脈の民族が、各家庭を単位とし、皇室を総本家といただき、
これに精神的団結の中心を置き、億兆心を一にし、各自の生存と発展とを図る、
一大家族主義国家であり、皇室と国民とは別々のものではない。
しかるに昔の国学者の一部は、陛下を現人神などと唱え、
別格にして奥深く、鎮座ましますべきものかに説き、宮内省はこれに応じ、しかもこれにルイ王朝時分の洋式を加味し、いろいろの制度と儀礼とを設け、
陛下と国民との間に障壁を築き、
大正以降の行幸は、警官と軍隊との垣で民衆の目から覆い、
陛下を宮中と政府大官だけの陛下となし奉り、昭和に入ると、千代田城と御別邸では近衛警備衛兵をさえ、”お目障り”と称し、これを陛下のお目より遠ざけるような、血迷うたことをするようになった。
これはじつに大御心に反していたものである。
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