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外交の戦略と志 谷内正太郎

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国家安全保障局の局長である谷内正太郎さんの本
外務省を辞めた後の本で、2009年頃の本です。
局長たる著者がどういう考えを持っているのか知りたいと思って借りてきました。

彼の考え、及び外務省時代にどのようなことをしてきたのかがわかってとても役に立ちます。

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40年間、基本的に自分が考えていた問題意識はそんなに変わっていない。
第1に、外交の基本は国際舞台で国益を追求することだということだ。
ただし、自国だけ良ければいいという近視眼的なやり方では、国益を守るつもりでも守れないし、伸ばすものも伸ばせない。
国際公益との整合性を保ちながら、国益を追求することが基本だ
英語では「エンライトンド・セルフインタレスト」、つまり「啓かれた利益の追求」と言ったりする。
さらにいえば、国益の中核にあるのは安全保障であり、
安全保障とは突き詰めれば「国民の生命と財産を守る」ことだ。
そこが大事という問題意識は変わっていない。

第二に、先にちょっと触れたが、外務省の宿弊である「事なかれ主義」を、打破しなければならないということだった。
日本がまだ国力がそれほどなかった時は、事なかれ主義で、頭を低くして、
トラブルには首を突っ込まない、余計なことはしない、受け身でいいということでよかったと思うが、
今やそれは許されない。
許されなくなって、もう長いこと経つと思う。

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千島列島は本来、平和裏に樺太・千島交換条約によって日本領有に帰したものであり、
もし原理原則を言うなら、千島列島全体が日本に返還されなければならない。
サンフランシスコ講和条約によって、日本が放棄した千島列島(ウルップ島以北の島々)は、
敗戦の結果として甘受せざるを得なかったもので、これを今更争うことはできない。
このような条約は一般に処分的条約(dispositive treaty)と言われ、
事後にその内容を争うことは、国際秩序の平和と安定に大きな脅威を与えることになるので、
許されざるものとされている
のだ。

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米国は右足をイラクに取られ、左足をアフガニスタンに取られ、
片手で中東和平、イランに取られ、
残りの手で北朝鮮の他、地球温暖化やエイズといった感染症などの地球規模の課題に取り組まなければならないという非常に大きな制約の下にある。

かつてウォルター・リップマンという評論家が、国家は国力以上に海外にコミット(関与)することは好ましくないということを指摘した。
海外コミットメントが国力を上回って展開されることを「リップマン・ギャップ」と呼ぶのだが、
まさに現在の米国はそれに陥っていると思う。
ちなみに私は、日本は「逆リップマン・ギャップ」と言っているのだが、
日本は国力以下の海外へのコミットメントしかしていない。


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安全保障の議論は何よりも、国民の生命と財産を守るために何をなすべきかを考えるべきであって、
必要があればそのための法的整備を進めたり、硬直した法解釈を目的論的に見なおしたりすべき
だ。

しかし、日本では戦後、一国平和主義的考え方が強く、
「日本には平和憲法があり、それに照らしてできるか、できないか」
という議論が行われ、法律論が政治論より優位に立っていた
このような実態があるかぎり、現在の政府の憲法9条の解釈は日本の安全保障政策、国際平和協力に大きな支障になっていることは、以前から指摘されてきた。
私はこの問題を政府部内や与野党間で真剣に議論していくべきだと思う。

具体的に指摘すると、「集団的自衛権」の問題、「武力行使との一体化」の問題がある。
現在の政府の憲法解釈は「自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権があり、
個別的自衛権は保有しうるが、集団的自衛権は保有すれども行使できない」
という整理をしている。
しかし、国際社会においてこういう整理をしている国はない。

国際法のレベルでは、個別的自衛権と集団的自衛権は一体として考えられており、
国家は当然、「行使しうる」という前提で、自衛権を有しているということになっている。
ちなみに国連憲章第51条では
「個別的または集団的自衛の固有の権利」(the inherent right of individual or collective self-defense)と規定されており、
権利は一体という前提の規定ぶりになっている。

もともと、国連憲章が作られた際、中南米の中小国が自国の安全保障にとって、
個別的自衛権では足りず、とくに大国からの侵略に対処するには、
他国の援助を求めることが必要になるのは当然で、
その根拠として集団的自衛権を求めたという経緯がある。
それらの国々にとっては、個別的または集団的自衛権は一体として必要だったのだ。

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内閣法制局は厳密に言うと、実は解釈権を持っていない。
内閣法制局の役割は法的には
「内閣総理大臣及び各省大臣に意見を述べること」
とされている。
つまり、政府全体の意見を内閣法制局が決める権限を持っているわけではない。
解釈は最終的に内閣であり、内閣総理大臣が行うことになっている。
だから、まさに政治が責任をもつべき問題なのだ。

ーー中略ーー
実体的に言うと、憲法第9条の解釈をやらされている担当者には同情すべき点がある。
彼らはもともと安全保障や防衛とは関係ない役所から突然、法制局に出向させられる。
普通の人であれば、プロでも舌を噛むような答弁ぶりを変更するだけの実体上の知識・経験もなければ意欲も持てないであろう。
国会答弁のための資料(例えば国会答弁書)をつくる時は、
長年使ってきているものをそのまま踏襲せざるを得ない。
それ以上のことを期待するのはそもそも無理がある。

したがって、内閣法制局で安全保障に関する法律問題を担当する人には、
少なくとも国際社会、安全保障の実体を十分勉強する機会を与えた上で仕事をしてもらいたいと思う。

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