Quantcast
Channel: 読書は心の栄養
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1745

モンゴル帝国と長いその後 杉山正明

$
0
0
モンゴル帝国といえば、日本の学校教育では元のことと同一視されるが、
元朝はモンゴル帝国の一部でしかない。

元朝が滅んだと教わったあとも、モンゴル帝国は縮小はするがその中心は清朝が生まれるまで存在するし、モンゴル帝国の一部は100年前にはまだ存在していたことがわかる。

===============

1920年、中央アジア
モンゴル帝国の残影は、ついにこの地上から姿を消した。
ーー中略ーー
消滅したのは、二つの国であった。
呼び方はいくらかあるが、一つはブハラ・ハン国、もしくはブハラ・アミール国。
そしてもうひとつは、ヒヴァ・ハン国などと呼ばれる。
いずれも、中央アジアの由緒ある都市にちなむ。

================

「アジア」という語は、古代のアッシリア語で「アス(asu)」、すなわち「日出る処」を起源とする
おなじくアッシリア語で「エレブ(erebもしくはirib)」、すなわち「日没するところ」という語と、
もともと一対のものである。
「アス」が「アシア」となり、さらにギリシアに伝わって、牛に返信したゼウスが女神エウローペーを略奪してその背に乗せて海を西へと渡ったという神話が被せられる。
「エレブ」と「エウローペー」の語の要素は、ほぼ共通している。
かくて、ギリシア語の「アシア」と「エウローペー」が地中海の西へも広まり、
やがてアジアとヨーロッパの呼び名が定まったとされる。

==============

中華地域では、明皇帝となった朱元璋(洪武帝)のもとで、
人類史上でも屈指の専制独裁・文化弾圧の恐怖政治が展開する。
前後五度にわたる政府官僚を中心とする大虐殺は、文化人・知識人をほとんど一掃してしまうほどの凄まじさであった。
どこか原始共産制を思わせる国家・社会政策をはじめ、
自らを絶対存在とし、自分以外の人間を唯々諾々たる羊とみなすような異様な原理主義は、
モンゴル治下の自由奔放の社会・経済を一変させたにとどまらず、
文明としての中華なるものの精華も、多くこの時に失われた。
その結果、明代前半は学術・文化・出版の暗黒時代が続く。

=================

日本は、志筑忠雄が1801年に命名した「鎖国」によって、
本来シー・パワーたるところを、海運・海戦の伝統・経験・ノウハウ・可能性とともに、
長く蓄えてきたものの多くを自分で放棄した。
そこに、「鎖国」のもつ世界史上での意味があることは見逃せない。



モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史)/講談社
¥2,484
Amazon.co.jp

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1745

Trending Articles