エジプトはさかのぼること300年超前、オスマントルコ帝国の一部でした。
当時はオスマントルコはヨーロッパを圧倒する文化・力を誇っていたが
産業革命・資本主義を通じて力が逆転し、
ナポレオンのエジプト侵略以降、
ナポレオンのエジプト侵略以降、
中東は主に英仏の植民地と化していきます。
スエズ運河開通後、エジプトは実質イギリスの管理下に置かれていくことになります。
最初はヨーロッパとアジアを通じた貿易のショートカットの役割だったが、
20世紀に入り、石油の時代に入るとその重要性は急激に高まっていきました。
第二次大戦前、中東の石油はそのほとんどを
イギリスのBP(当時はアングロペルシャ、あるいはアングロイラニアン)
が所有・管理・関与していました。
第二次大戦前、中東の石油はそのほとんどを
イギリスのBP(当時はアングロペルシャ、あるいはアングロイラニアン)
が所有・管理・関与していました。
戦後になり、アメリカが覇権を握り、アメリカは
イギリスに対して大西洋憲章を盾に中東の市場開放を求める(油田利権を奪う)一方、
エジプト軍部と協力関係を結び、エジプトを共和国化し、
第二次中東戦争を経てスエズ運河の国有化に成功する。
これがナセル政権であり、アメリカとの密接な関係の始まりです。
その後、ムバラクが現れ、独裁政権が続いていく。
湾岸戦争以前からムバラクとアメリカは蜜月関係にあります。
民衆の貧困化が背景にあり、周辺国での民主化の動き(ジャスミン革命やアラブの春)がエジプトにも影響する。
貧困になると社会が不安定化するのはどこの国でもどの時代でも同じです
そこに民主化という餌に乗っかり、大規模なデモが行われ、ムバラク政権は崩壊する。
ムバラクは牢屋に入るものの、贅沢三昧の生活
代わって「初めての民衆の選挙」により選ばれ、政権を握ったムルシだが、
政府はムバラクの息のかかった人間ばかりで全く政治ができません。
政府はムバラクの息のかかった人間ばかりで全く政治ができません。
ムバラク政権でいい生活をしていた軍部が昔の政権に戻したいと、金を使ってムルシ政権へのデモを行わせました。
そして今年の7月、軍部がクーデターを行い、ムルシ政権を引き摺り下ろすことに成功したわけです。
アメリカは自由と民主主義を標ぼうしながらも、
優先順位の1番目は「自国の国益」であり、
中東の石油利権の拡大のために味方となるムバラクのほうが都合がいいのです。
優先順位の1番目は「自国の国益」であり、
中東の石油利権の拡大のために味方となるムバラクのほうが都合がいいのです。
だから、独裁政権・軍事政権に戻ろうとするクーデターをアメリカは容認・支持しました。
別にだからといってアメリカが悪なのではなく、
あくまで自国の利益のために動いているだけで、
当たり前のことをやっている。
それをごく平然と障害もなく行えるために、他国から嫌われているのです。
別にだからといってアメリカが悪なのではなく、
あくまで自国の利益のために動いているだけで、
当たり前のことをやっている。
それをごく平然と障害もなく行えるために、他国から嫌われているのです。
せっかく民主化した社会が、たった1年で元に戻りそうになり、
反対運動を起こす民衆に対し、
反対運動を起こす民衆に対し、
今度は軍部は無差別虐殺を行い、現在に至っている。
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この流れを知るには、
現代史
中東の歴史
石油の歴史
を知っておく必要があるが、
欧米中心の世界史を学び、
近現代史を学校で教えず、
大戦の原因・敗因たる石油から目をそらそうとする
日本の教育で育った私たちは、
中東で何が起きているかさっぱりわからない。
そうした人がマスコミに入っても何が起きているかわからない。
結果、CNNなどのアメリカのニュースを頼りにし、
その中から知っている用語を抜き出し、
「類まれなる妄想力」を発揮することで
現在の報道が行われている。
スンニ派とシーア派の区別もつかず、
イスラム教全般が悪であるかのような印象を植え付けています。
とりあえず、日本人は自分たちが宗教音痴であることは認めているので、
なんとなく宗教のせいにしてすべてを片付けようと画策するのです。
イスラム原理主義=イスラム過激派=テロリスト
の方程式をふりかざし、最近は
イスラム教=過激派=テロリスト
だとでも言いたいのだろうか