中国残留孤児の偽装というのもある。
そもそも中国残留孤児とは、1945年8月、ソ連の対日参戦とそれに続く日本の敗戦で
混乱を極めた中国東北部(旧満州)において、家族とはぐれたり置き去りにされたりして
中国人に育てられてきた日本人の子女を言う。
その数は八千人とも、一万人を超えるとも言われている。
ーー中略ーー
この残留孤児本人は日本人だが、その配偶者(中国人)の兄弟姉妹、
甥っ子姪っ子になると、どう考えたってバリバリの中国人だ。
ましてやその友だちなんてことになると、もう関係外のはず。
ところがこうした関係外の皆さんが日本に大量に来ているという。
それは、ひょんなことから明らかになった。
ある残留孤児(日本人)であるおばあさんが日本に帰国すると、
一緒に帰国した誤認の子どもたちの元に、それぞれの友達や配偶者の親戚などから、
「俺をお前の兄弟にしてくれ、日本人として迎えてほしい」
という話がきたのだ。
もちろんタダではない。
金のからむ話だ。
ところがこの五人、兄弟仲が悪いらしく、横の連絡なしに自分の「兄」や「弟」
を増やし続けたため、元となる残留孤児のおばあさんが三ヶ月おきに
子供を産んでいた計算になったのである。
ギネスものの特ダネに湧いた入管からの要請で捜査が開始されると、
横に膨らんだ兄弟数は真贋含めて十四人、おばあちゃんの孫やひ孫を入れると
四十人近くになった。
その中に、おばちゃんの孫として来日していた
黒竜江省公安局(警察)外交部(外事課)の刑事がいた。
彼が言うには、「残留孤児の血縁なんて、九割は偽物だ」とのこと。
私はまた中国人特有のオーバーな表現かと思い、
「そんなことはないだろう、元刑事がウソをつくな」と言うと、
彼はムキになって言ったのだ。
「ウソじゃないよ。俺は渡航の申請許可業務もしていたし、偽物の残留孤児に、
俺がハンコを押してたんだから間違いないよ。
奴らはどう考えても中国人だよ。
でも身元証明書揃えてくるんだから、ハンコ押すしかないじゃないか。
現に俺だってここにいるしね」
実際彼自信も、中国で警察官をしている父親を通じて現地の公証役場に根回しし、
彼本人と妻、そして子供の分まで、本物の公証証書に残留孤児血縁者である旨の
ウソの内容を書かせて大使館に提出、入国していたのであった。
通訳捜査官 中国人犯罪者との闘い2920日 坂東忠信より
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中国残留孤児の偽装
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