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東條英機 天皇を守り通した男 福冨健一

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歴史の授業で習う東條英機とは別の面が見えてくる

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東條は満州に赴任した頃、二万人のユダヤ人を救っている。
昭和13年2月、ナチスの迫害から逃れてきた大量のユダヤ人難民が、
シベリア鉄道で、満州国の北東の端で接するソ連(現ロシア)のオトポールに到着する。
ユダヤ人難民は連日オトポールに到着し、その数は二万人に膨れ上がった。

ソ連はユダヤ人難民の受け入れを拒否したため、厳寒の地にたたずむ難民たちは満州への入国を希望する。
満州のユダヤ人協会の幹部は、関東軍特務機関の樋口季一郎少将にユダヤ人難民の受け入れを求めた。
ーー中略ーー
昭和13年1月に東條関東軍参謀長は、「現下におけるユダヤ民族施策要領」を定め、
「八紘一宇」の精神でユダヤ人とは親兄弟のように交流することを決めている。
樋口は東條に
「閣下、オトポールに到着した二万人のユダヤ人難民の入国を許可願いたい」
と難民の入国を求めた。
「入国を許可する」
東條はすぐさま入国を許可し、何本もの救援列車を運行し難民を難民を運んだ。
大量のユダヤ人難民を救出したことに対し、ドイツ外務省から東條に抗議が寄せられる。
これに対し東條は、
「人道上、当然なる措置である」
とドイツの抗議をあっけなく拒否するのである。

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(1941年12月1日)
この日の車中、廣橋秘書官が東條に、世論は開戦をためらっている首相に批判を高めていると報告している。
この頃は総理に対し、(日米開戦を決断せずに)何をグズグズしておるのか、というような投書が多くなりました
すると、
「東條は腰抜けと言ってるだろう」
そういって東條は笑った。
東條は12月6日の深夜、天皇のご意思に沿えず開戦に至ったことを悔み、号泣した。
隣室にいたかつ子が東條の部屋を覗くと、夫は正座し涙していたという。
「戦争をしなければならぬように仕向けた米国」の力の前に屈したのだ。
東條にとって絶対であったお上のご意思を理解しようとしない米国を憎み、悔し涙を流した。

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東條が巣鴨拘置所に移送された日は、真珠湾攻撃の日と同じ12月8日、
そして入所時刻は14時20分である。
野村、来栖両大使が日本の最後通牒をハル国務長官に手渡した自国とまったく同じ時刻が記録されている。
偶然とはいえない、東條に対する連合国の悪意が感じられる。


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