とうとうギリシャとローマの間ぐらいは占拠されてしまい、物理的にローマ帝国は東西に分離してしまう。
このシリーズは、前シリーズでキリスト教が認められるようになり、
それが国教化するまでを描いいている。(4世紀末まで)
キリスト教は地位を向上させるやいなや、その他の宗教を邪教として扱っていく。
次第に皇帝<司祭という関係性になっていく過程が描かれていて怖い。
そして、最近のEUの難民のなだれ込みを見ていると、
性質は全く違うが当時のローマ帝国の崩壊のように感じるのは私だけだろうか。
ローマ帝国は多民族の侵入で、EUは難民の流入ではあるが
コンスタンティヌス大帝後、宮廷は宦官による影響力が増大していき、
その息子のコンスタンティウス帝時はとてもその影響が大きくなる。
宮廷内の嫉妬・権力争いが激しかったようです。
これに止めを刺したのが、その次の皇帝、ユリアヌス
宮廷の宦官を一掃し、実務的な軍人などを活用していく。
また、コンスタンティヌス帝以降進んだキリスト教化を抑え、
他の宗教と同格程度まで落としたことからこの皇帝は背教者という異名を持っている。
もちろんキリスト教会からです。
彼が死ぬとまたキリスト教会の地位が高くなり、皇帝の地位も司祭に保障してもらうほどになっていく。
それに伴い、他の宗教は邪教と扱われ、元来のローマの多神教も廃され、
多くの神殿、像も「偶像崇拝」対象のために破壊されていく。
ちなみに、ユリアヌスの2代後の皇帝、ヴァレンティアヌスはゲルマン人
初の、ローマ人いわく「蛮族」出身の皇帝となる。
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ゴート族はゲルマン民族の一部族であり、ゲルマン民族は、ローマ人から見れば蛮族である。
文明の民と蛮族の違いは、前者は布製の衣服を着け、石造りの家に住むのに、
後者は獣の皮をまとい木材を組んだ家に住むからではない。
たとえ布地の衣服を着け石造りの家に住もうとも、「蛮族」とみなされたのは、
ギリシア人の場合はギリシア語を話さない他国人の意味だったが、
ローマ人の場合は違う。
ラテン語を話す話さないよりも、多種多様な民族がともに共生するために必要なルール、
つまり法律、を受け容れた、法治の民であるか否かが、文明の民と蛮族を分ける計器であったのだ。
言い換えれば、ともに住む人の間で生じた問題の解決を、法律に基いて決めるか、
それとも、腕力で決めるかの違いである。
そしてこのちがいは、具体的には、日々の労苦の積み重ねによって生きていくか、
それとも、他人の持ち物を奪うことで生きていくか、になった。
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ローマ人の物語 キリストの勝利 塩野七生
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